史上初めて44秒台選手同士が日本選手権で対決 男子400mを国際レベルへ押し上げる“ダブル佐藤”【日本選手権プレビュー】
その結果が8シーズンぶりの自己記録更新から、32年ぶりの日本記録更新まで一気に突き進んだ。佐藤拳自身と関係者を除けば、奇跡のように感じられた23年シーズンになった。 一方の佐藤風も作新学院大3年時の17年に、日本選手権予選を45秒99で走った。しかし45秒台を出しても予選を通過できなかった。気象的な好コンディションに恵まれたタイムであることは明白だった。400m選手にとって45秒台は1つの勲章だったが、佐藤風は競技優先の練習環境を提供できる実業団チームに入ることができなかった。 大卒1年目はフルタイムで仕事をしながら走り続けたが、記録は低迷した。栃木県の陸上関係者間には「もう無理だろう」という雰囲気もあったという。しかし佐藤風はところどころで良い走りをして、卒業2年目(20年)に転職できた。競技環境が良くなり、日本選手権でも3位と健闘した。 しかし東京五輪代表入りを狙った21年6月の日本選手権で5位と敗れ、4×400mリレーメンバーにも入ることができなかった。 「冬期にヒザ裏を痛めていた影響もあって、体も心も状態が整っていませんでした。代表に選ばれる、勝負をしに行く、そういう部分で気持ちが他の選手より弱いんじゃないかと思いました。9月の全日本実業団陸上までの3か月で、翌年の世界陸上オレゴン代表を個人種目で目指そうと奮起しました」 その全日本実業団陸上で45秒84と、大学3年時に出した45秒99を4シーズンぶりに更新した。そして翌22年は日本選手権で初優勝。自身に課した世界陸上オレゴン400mの代表入りを果たし、世界陸上本番でも準決勝に進出。1走を務めた4×400mリレーでは過去最高順位の4位、2分59秒51のアジア記録(当時)と一気に国際大会で活躍する成長を見せた。 そして23年シーズンからはトップ実業団チームのミズノに加入。世界陸上ブダペストでは前述のように準決勝で44秒88をマークした。高校時代は49秒39だった選手が、強豪ではない大学で45秒台を出し、その記録を更新するのに4シーズンかかったものの、そこから2シーズンで44秒台まで到達した。佐藤風の成長もまた、奇跡と思える足跡だった。