アルファロメオのアルファスッドはスバル1000がモデルだったのか? その真偽を考察する!『さいたまイタフラミーティング2023』で見つけた名車・旧車vol.1
元・日英自動車メカニックによる新証言! 両車が酷似したのは共時性から!?
ただし、ここで焦点となるのが矢吹氏も指摘しているルスカを含めたアルファスッド開発陣のスバル1000への認知である。これについては、徳大寺氏がミラノ・テストコースで見たというスバルの存在が読み解く鍵となり、筆者は数年前にひょんなところでこの件について新たな証言を得ている。 それは以前に中古のプジョーを購入した輸入車の整備・販売店でのことだった。その店の社長兼メカニックと雑談に花を咲かせていると、彼が若かりし頃にアルファロメオの販売を手掛けていた日英自動車に勤務していたときの思い出話を聞かせてくれた。話の中でたまたまスッドの名前が出たときに彼は「徳大寺さんがアルファロメオ本社で見たっていうアレね。じつはオレがイタリアに輸出手続きをしたんだよ」とだしぬけに言い出したのだ。 どういうことかと詳しく話を聞くと「昔のことなんで細かいことは忘れちゃったけど、あれはたしか……1960年代後半(筆者注:おそらくは伊藤忠自動車が撤退し、日英自動車がアルファロメオの販売を引き継いだ1968年以降だと思われる)のことだったと思う。ある日、アルファロメオの本社から『大至急、日本のスバル1000を送ってくれ』って依頼が舞い込んできたんだよ。それで富士重工の販売店に急いで注文して、納車された新車をすぐにイタリアへと輸出したんだ。その手続きを任されたのがオレでね。記憶では5~6台は送ったと思う」と彼は語ってくれた。 アルファスッドにまつわる例の説についても尋ねると「『スーパーCG』の記事はオレも読んでるよ。インタビューの中でルスカはスバル1000には触れなかった。車名を挙げて聞かれなかったから答えなかっただけで、存在を知らないってことはなかったんじゃないかな。だけど、オレがイタリアにスバルを送った時期を考えれば、アルファロメオが丸パクりしたとは考えられない。ある程度開発が進んだ段階で、スバル1000の存在を知ったんだろうね。それで試作車の比較評価用に実車が欲しかったんだと思うよ」との見解を示してくれた。 今となってはルスカを始め当時を知る関係者の多くが鬼籍に入ってしまい、あらためて真相を聞き出すことはできないが、おそらくは矢吹氏の見立て通りなのだろう。 ルスカ氏と百瀬氏。ふたりの天才が当時の技術水準で理想のベーシックカーを求めた結果、完成したのがスバル1000とアルファスッドという傑出した設計のFWD車だったというのがのが事実なのだろう。カール・G・ユング風に言うなら「共時性」ないしは「非因果的連関の原理」、つまりは「シンクロニシティ」というヤツだ。すなわち、ほぼ同時に電気を発明したトーマス・エジソンとニコラ・テスラ、電話の発明特許を数時間差で出願したグラハム・ベルとイライシャ・グレイのようなことが、多少のタイムラグがあったとは言え、当時の新車開発でも起こったということなのだろう。両車に「パクり」や「マネ」のようなことはなかったのだ、と筆者は考える。
山崎 龍
【関連記事】
- フィアットやアルファロメオ、ルノーにプジョー……イタリア車&フランス車が600台!『さいたまイタフラミーティング2023』は希少車の宝庫だった!!
- 心地よいエキゾーストで魅了「アルファロメオ・ジュリア」【最新スポーツカー 車種別解説 ALFA ROMEO GIULIA】
- オーナーが語る、あのイタリア車の本音は? | アルファロメオ ジュリア | これがオーナーの本音レビュー! 「燃費は? 長所は? 短所は?」 | モーターファン会員アンケート
- 超レア!! ウォルター ウルフ レーシングのベクターW8を見た! アメ車の祭典『スーパーアメリカンフェスティバル』で見つけたすごいクルマ vol.1
- トナーレにジュリア、ザガート……オートモビル・カウンシルで新旧アルファロメオを堪能! オールド・アルファは手放したら二度と手に入れられない!【旧車アルファロメオ・オーナーの現実 vol.2】