アルファロメオのアルファスッドはスバル1000がモデルだったのか? その真偽を考察する!『さいたまイタフラミーティング2023』で見つけた名車・旧車vol.1
その説の出どころは……巨匠・徳大寺有恒氏!?
この話の出どころを辿って行くと、2014年に亡くなった自動車評論家の徳大寺有恒氏へと行き着く。1976年に刊行された『間違いだらけのクルマ選び』を筆頭に、たびたび自著で「アルファスッドはスバル1000を参考に開発された」ことを指摘している。 その根拠として徳大寺氏が挙げていたのは「アルファスッドの発表前にミラノのテストコースを訪れたところ、何台ものスバル1000が並んでいるこの目で見た」という自身の体験談であった。わが国のモータージャーナリズムの第一人者だった徳大寺氏が車種を見間違えるとはとても考えられず、状況証拠としてはたしかに有力な証言と言えるかもしれない。 徳大寺氏が同地を訪れた時代は、まだまだ日本は自動車後進国であり、大手メーカーでも恥ずかしげなく外国の技術やスタイリングを模倣していた時代だ。そんなときに現れたのが世界水準をも超える設計のスバル1000であった。この当時、欧州ではスバルはまったくの無名な存在で輸出もほとんどされていなかった。それが思いがけず名門・アルファロメオのテストコースで見かけたとしたら、それはどれほど感慨深いものだっただろうか? 「参考にした」とした徳大寺氏の原稿からはネガティブな印象はまったく受けず、「東洋の島国のクルマが欧州の名門メーカーに認められた」という、日本人としての誇りと喜びを感じさせるのはそのためなのだろう。
矢吹明紀氏による両車の比較検証とルスカへのインタビュー
この説については『J’s Tipo』2002年4月号(ネコ・パブリッシング刊/2010年1月休刊)にて、モータージャーナリストの矢吹明紀氏が、実際にスバル1000とアルファスッドを並べて比較検証した上で考察をしている。記事の中で矢吹氏は両車が酷似していることを認めつつ、開発に当たったルドルフ・ルスカ氏が、かつてポルシェでエンジニアを務めていたことを指摘し、「自身の経験からまず水平対向エンジンを選び、将来性が見込まれるFWDを採用したのではないか」(要約)との自説を述べている。「アルファスッドはスバル1000を参考に開発された」との説に対しては「スッド開発陣がスバル1000の存在を知らなかったとは思わないが、これまで世間で噂されたほどの直接的な関係性がないというのが事実だろう」(要約)と結論づけている。 事実、1995年に刊行された『スーパーCG』No.29(二元社刊/ 2007年休刊)で行われたルスカ氏へのインタビューでは、彼はアルファスッド以前に登場したFWDレイアウトのランチア・フルヴィアとロイト・アラベラの名を挙げて「これらなどに影響されたわけではない」と述べていた。問題は“など“にスバル1000が含まれるか否かだが、この場合は含まれていると考えるのが妥当だろう。
【関連記事】
- フィアットやアルファロメオ、ルノーにプジョー……イタリア車&フランス車が600台!『さいたまイタフラミーティング2023』は希少車の宝庫だった!!
- 心地よいエキゾーストで魅了「アルファロメオ・ジュリア」【最新スポーツカー 車種別解説 ALFA ROMEO GIULIA】
- オーナーが語る、あのイタリア車の本音は? | アルファロメオ ジュリア | これがオーナーの本音レビュー! 「燃費は? 長所は? 短所は?」 | モーターファン会員アンケート
- 超レア!! ウォルター ウルフ レーシングのベクターW8を見た! アメ車の祭典『スーパーアメリカンフェスティバル』で見つけたすごいクルマ vol.1
- トナーレにジュリア、ザガート……オートモビル・カウンシルで新旧アルファロメオを堪能! オールド・アルファは手放したら二度と手に入れられない!【旧車アルファロメオ・オーナーの現実 vol.2】