「コース係が突然バツ印を…」箱根駅伝アンカーでまさか「踏切で足止め」大東文化大・田子康晴が振り返る“その時”「悔しかったのは踏切のことより…」
“あと200m”の悲運
不安に反して、走り出すとペースは快調に上がっていった。スタート時に1分00秒差あった4位・中央大との距離は徐々に縮まり、多摩川を越えて東京都内に入るとその姿が射程内に入った。蒲田の踏切手前でついにその差は200mまで迫っていた。 「どんどん背中が大きく見えてきました。いけるかもしれない。とにかく追いついて、あとは最後までキープして……と考えていました。その時、道路上に立っていたコース係の方が腕で大きく“バッテン”をしたんです。その後ろで、踏切の遮断機が降りているのが見えました」 突然のストップ宣告。前を行く中央大のランナーは、幸運にも踏切を通過していた。踏切を管轄する京急は当時、箱根ランナーへの影響を極力なくすために社員を総動員して列車の通過時間をコントロールしていた。しかしそれでも、運行上どうしても列車を通過させなければいけない時間が出てくる。田子さんが足止めを食らったのはまさにその、不運な一瞬の“隙間”だったのだ。
「まさか私が」
「もちろんそういうケースもあることは想定していましたが、まさか私が? という感じでした。ただ、実際に自分自身はそこまで動揺するようなことはなかったんです。とにかく動きを止めるのが嫌だったので、まずは来たコースを逆に戻る感じでジョギングしていました」 当時は現在と伴走車からの声がけのルールが違ったため、田子さんは走りながら前方で踏切が閉まりそうだという情報は全く把握していなかった。電車の通過を待つ踏切の前で初めて伴走車と遭遇し、只隈伸也監督から「大丈夫かー?」、「大丈夫です」という会話を交わしたのだった。 「軽くジョグをして戻ってきたところで、係員から『この位置からスタートです』というようなことを言われたと思います。その場で足をプラプラさせたり小刻みに動いたりして待って、合図とともに再び走り出しました」
前を行く選手の姿は消えて…
踏切が上がった先にはもう、前を行く選手の影すら見えなかった。その間、25秒。ロスタイムは後で記録から差し引かれるとはいえ、今にも捉えようとしていた標的を見失ったことは、その後の走りに大きな影響を及ぼした。 「追いかけていく目標があるのとないのとでは、やはり違いますよね。ただ、それがなければどうだったのか、というのは何とも言えないです。追いつけたかもしれないし、逆にこちらがバテていたかもしれない。タラレバですから……」 箱根駅伝の歴史に残るハプニングだったが、その不運を呪ったことはないという。「あの日後悔があるとすれば……」。田子さんはこう続けた。 「足止めされたことよりも、踏切を越えたあと、都心に入ったところで手袋を脱いでしまったこと。そこまでは暖かかったのでつい取ってしまったんですが、都心に入ったら高層ビルの陰になって日が当たらなくなり、ビル風も強く寒さで手足が動かなくなってしまった。レース後には何より、そのことを反省しました」
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