ピッティ ウオモとは?【比類なき4の魅力と誕生秘話】
ピッティ ウオモにまつわる意外な歴史②「第1回目の開催場所は自宅だった!」
ジョバンニ・バッティスタ・ジョルジーニ氏は、イタリアのファッションデザイナーやブランドが国際的な舞台で競争力を持つために、彼らのコレクションを海外のバイヤーやジャーナリストに紹介する必要性を感じる。1951年にジョルジーニ氏は、イタリアのデザイナーによるコレクションを披露するイタリア初のファッションショーをなんと彼の邸宅で開催した。わずか10名のアメリカ人バイヤーがこの催しに参加したという。現在のピッティ ウオモからは想像しづらいほどの小規模なショーであったが、これが現在のピッティ ウオモへと続く一歩となった。 編集部 紺野「大成功を収めたイタリア初のファッションショーが開催された頃はまだ街中に瓦礫が2/3ほど残っていたとか。そんな中でイタリアのファッションをグローバルに展開させたいという大きな野望を持ち、確実にその一端を担った彼の手腕に感銘を受けました。ちなみに、現在ピッティ ウオモがフィレンツェに与える経済効果は年間で4億ユーロ(日本円で約680億!)を超えるとも言われているそうです。」
ピッティ ウオモにまつわる意外な歴史③「初のピッティはレディースファッションショーだった!」
ジョルジーニ氏の邸宅でのショーは徐々に規模が大きくなり、会場をピッティ宮殿へと移し、1955年には500人のバイヤーと200人のジャーナリストを動員するヨーロッパ最大のファッションの祭典へと進化を遂げていった。ここで現在のピッティと大きく異なるのはレディースのみを対象とするファッションショーを行っていた点にある。1963年に初めてメンズファッションが扱われるようになり、1972年の9月にメンズウェアとアクセサリーを取り扱った「ピッティ・イマージネ・ウオモ」が開催された。ちなみにUomoとはイタリア語で“男性の”という意味。Pitti Imagine Uomoは「Pitti Imagineの男性版」ということになる。ちなみに、現在ピッティ ウオモはピッティ宮殿から場所を移しバッソ要塞で開催され、イタリアのファッション産業の成長と国際化に大きく寄与する重要なイベントとなっている。