全員がロードレーサーの三兄弟、次兄が事故で下半身不随に。「もう一度バイクに乗せたい」と試行錯誤の末、21年ぶりに鈴鹿で走ることが叶って
治親さんが、そんな拓磨さんをもう一度バイクに乗せられるかもしれないと知ったのは、それから20年後だった。 「普段は車椅子生活の方がバイクに乗っている、海外の映像を見たんです。『もしかしたら』と思いついて、宣篤に相談しました。それで、鈴鹿8時間耐久ロードレース(毎年夏に鈴鹿サーキットで開催される、日本最大のオートバイレース)で拓磨がデモンストレーションをする、という目標を掲げたプロジェクトが始動しました」 治親さんは早速、車体を改良できる部品を海外から取り寄せ、試行錯誤を繰り返した。アイデアを聞いて、「遅えよ」と照れながらも喜んでくれた拓磨さんと兄弟たちの努力の末、翌年の7月、ついにプロジェクトが結実する。 6万人超の観衆を前に、21年ぶりにバイクで鈴鹿を走る拓磨さんの姿は、全国のバイク好きを驚かせ、感動させた。 「その後、『私もバイクに乗れますか』って、さまざまな障害でバイクを諦めた人たちからたくさんの連絡をいただいたんです。これまでバイクに生かされてきた僕だから、バイクで何か恩返しをしたいという気持ちはずっとあって。それで、活動を一般の方にも広げました」 日々舞い込む相談。そのいずれにも、治親さんは「無理です」と言ったことがない。 「障害を抱えている方は、日頃から何かを諦めさせられることばかり。無理だと言うのは簡単です。でも、僕が断ればその人が一歩前に出るチャンスをつぶすことになる。だからノーと言いたくないんです。やってできなければ諦めもつく。まずはチャレンジしてみることが大事だと思っています」
◆目が見えなくても、バイクが初めてでも 治親さんたちは、視覚障害を持つ人の夢も叶えた。細川紀子さん(50代)は、網膜色素変性症のため、40歳ごろから徐々に視力を失った。バイクは乗ったことがないけれど車は好きだった彼女は、視覚障害者のメーリングリストでSSPの活動を知る。細川さんは翌日電話で問い合わせ、練習会に応募した。 「夫は少し心配しましたが、子どもたちは『ママすごい』と賛成してくれて。補助輪を付けた大きなバイクにまたがった瞬間、全身から喜びが湧き上がり、不安なんて飛んでしまいました。 『右手のアクセルをまわして』『ブレーキの用意』など、インカムから聞こえる指示に従い、体で風を感じるのが最高に気持ちよかった。周りでスタッフの方々が応援してくださっているのもよくわかって、一緒に走っているような一体感もすばらしかったです」 拓磨さんも、「可能性は人が決めるものじゃない。自分自身で探っていくものです」と語る。 事故の後、四輪での復帰を目指すも、「障害が身体の50%以上ある人は不可」という理由で、日本でライセンスが下りず、活動の場を海外に移した。昨年のアジアクロスカントリーラリーでは、健常者ドライバーに交じって総合優勝を勝ち取っている。 「障害者にどう接すればいいかわからない、という人もいると思います。でも、必要なのは特別なことじゃないんです。みんながお互いを認め合い、誰も置いてきぼりにならない社会を作ること。たとえば車椅子のためにインフラを整備すると、『特別扱いするな』と声が上がることがありますが、そうじゃない」