【89歳の美容家・小林照子さんの人生、そして贈る言葉⑪】子どもの人生に干渉しない。今は娘とは親友です
89歳にして美容研究家であり、ふたつの会社の経営者として現役で活躍する小林照子さんの人生を巡る「言葉」の連載「89歳の美容家・小林照子さんの人生、そして贈る言葉」。今回、お話しいただいたのは、「母娘の人間関係」についてだ。 56歳で起業し「美・ファイン研究所」を設立した小林照子さん。一人娘の浩美さんはその会社の一員になった。仕事にまい進してきた照子さんだが、娘さんとの関係はどんなものだったのだろうか? そこにも照子さんの考える母娘の人間関係が垣間見られるエピソードがあった。
子どもは別人格、親の価値観を押しつけてはいけない
「私は120%の情熱をかけて仕事と子育てをしてきました。 とはいえ子育てのほうは、一人娘の浩美はほぼ“鍵っ子”状態で、はたから見たら『ほったらかし』のように見えたかもしれません。それでもグレることもなく、自立したとてもよい子に育ってくれました。 昔、娘が大人になったとき、『よくグレなかったわね』と聞いたことがあります。そうしたら『グレるのはいつでもできると思ったから』という答えが返ってきました。 仕事で家を空ける時間が長い私は、娘が小さい頃はせめて朝、学校に行くのを見送りました。姿が見えなくなったら、大急ぎで自分の身支度を行う日々です。そして夜は短い時間でも、娘の話を聞くようにしていました」 ※子育ての奮闘記は第8回<29歳で出産。仕事と子育ての両立で気づいたこと。「よくない出来事は軌道修正の合図?」>参照。 「娘が学生の頃は、よく我が家に友達が集まっていました。時には私が思春期の子どもたちの相談役になったこともあります。 こうして娘は真っすぐに育ち、大学に進学することになりました。そして『20歳までは何でもサポートしてあげるわよ。何かしたいことはある?』と聞いたところ、『アメリカに留学したい』という要望がありました。 『何でもサポートしてあげる』と言った約束通り留学を許し、娘は日本の大学を3年で休学してアメリカに向かいました。そして、留学中、同じアメリカの大学で知り合ったブラジル人と結婚することになりました。 夫は『地球の裏側に嫁に出すなんて』と最初は反対していました。でも『ブラジルに嫁ぐのも、日本のどこかに行くのも一緒よ!』といった私の説得もあり、口では反対だと言いつつ、ちゃっかりテーラーで挙式用のスーツをあつらえているのを、私は知っていました(笑)。 子どもは別人格です。子どもには子どもの違う人生があるのです。子どもにはよく『こうした人生を歩んでほしい』『こんな大学に行ってほしい』『こんな職業についてほしい』など、自分の思いや価値観を託してしまいがちです。それが、子どもには大きな負担になることがあります。 家族への『思いやり』と『思い込み』は違います」 そして、小林さんご夫妻は娘さんを快く送り出すことにしたそう。 「挙式のためにブラジルを訪れた私たちも大歓迎されて、とてもよい時間を過ごすことができました。そのときの滞在がよほど楽しかったようで、夫は晩年の病床で『ブラジルの夢を見た』とうれしそうに話していました。 娘が嫁いだ先は会社経営をしている資産家で、何不自由のない生活をしていました。ところがひとつだけ難点があり、治安が悪い国のため、日本のようにどこへでも一人で出かけられる状況ではありませんでした。そのことが徐々に息苦しさへと変わったようです。 そして娘は夫とともに日本に戻り、23歳で男の子を産み、その妊娠中に休学中だった日本の大学も卒業しました。娘の夫は家業を継ぐためにブラジルに戻らざるを得なくなりましたが、娘はブラジルに戻ることはありませんでした」