沢田研二ドタキャン騒動 「アイドル資本主義」と「脚光後の人生」
スポーツもアイドル化
昨今の「スポーツ資本主義」についてはこれまでにも書いてきた。 昔は、それで飯が食えるのはプロ野球ぐらいのもので、特殊なものとしてボクシング(ハングリー・スポーツ)、ゴルフ(リッチ・スポーツ《造語》)、相撲(ナショナル・スポーツ《国技》)などがあった。 しかし今はサッカーをはじめ、フィギュアスケート、テニスなどが大きな人気だ。アメリカの影響かアメフトやバスケットも、比較的地味な卓球、バドミントン、バレーボール、体操、ラグビー、柔道、水泳、陸上競技まで、大きな金銭が動き、プロとアマの区別も難しい。 情報化社会とグローバリズムの進展によるのだろう。芸能と同じような「見世物」として、媒体にとっては大きな存在である。また共通のルールと実力によってグローバルな評価に耐えるので、文化特殊性の強い芸能とは逆の意味で普遍性がある。 しかし実力だけではなくなってきた。芸能と同じように「人気」がものをいう。資本はその人気に群がる。フィギュアスケートの羽生結弦選手などは、もちろん実力もあるが、今の芸能界には探すことが難しいほどの商品価値がある。つまりスポーツ選手もアイドル化しているのだ。 そして芸能と同様に、いや芸能以上に年齢の限界がある。一般的には40歳程度、経験のスポーツであるゴルフは50歳程度、体力に頼るものは20代後半に限界が来る。つまり「脚光後の人生」は確実にやってくるのだ。 伝統的なスポーツは、それなりの道を用意して、指導者になったり、協会の職員になったりするが、少数者に限られている。大金が動くようになった近年は、そこに利権が生じてトラブルが相次いでいる。 身を持ち崩した選手としてはプロ野球の清原和博選手が象徴的だ。協会から外れた元力士も多い。ゴルフのタイガー・ウッズは立ち直った。その世界で、選手としても経営者としても大成功したのは「帝王」と呼ばれたジャック・ニクラウスである。