【闘病】「卵巣がん」 生命を最優先した結果、子宮と卵巣は全摘出を選択
周りに心配をかけたくない。病気になる前となるべく変えない生活作り
編集部: では、改めて病気が判明したときの心境について教えてください。 千田岡さん: まず、仕事の心配です。私は、セラピストとして勤務しているので、病気のことなんて知られたら……と思いました。だから絶対周りには知られないようにしなければと細心の注意を払いながら過ごしていました。 それに化学療法中、仕事を続けていけるのかもわからず、がんに対して無知すぎて治療費すら想像できませんでした。 編集部: ご家族に対してはどう思われましたか? 千田岡さん: きっと母は私を産んだ自分のことを責めると思い、伝えるのをやめることも考えましたが、一緒に暮らしているのでそういうわけにはいかず……伝えました。そして、同時に「まだ死ぬわけにはいかない」とも思いました。 編集部: 発症後、生活にどのような変化がありましたか? 千田岡さん: 当時は新型コロナウィルス真っ只中で、世の中の変化についていくことでも必死でした。ただ通院中や手術の時はすべてプライバシーも守られて、精神的に救われました。 治療については、限られた人にしか伝えておらず、治療中も体調が許す限り生活をほとんど変えないということが私の目標でした。 化学療法のスケジュールと体調を確認しつつ、仕事もプライベートも、コロナが落ち着いていた束の間の食事会も、全部いつも通りに楽しんでいました。 編集部: 闘病中の姿を感じさせないように行動されていたのですね。 千田岡さん: 今思えば、必死だったんだと思います。そして、治療中は自分の病気に関するネットの情報から距離をとっていました。ココロもカラダも弱っている時に、見えない何かの情報に左右されたくなかったんです。 もちろん、時にはこれらも大切ですが、情報の用量・用法を守っていました。やはり一番は主治医を信じ、答えは自分の心にあると思っていました。 編集部: 脱毛などはありましたか? 千田岡さん: 「脱毛は化学療法開始から少し経ってからだから、急がなくていい」と言われていました。でも、化学療法開始とほぼ同時期に美容師さんと幼馴染に断髪式をしてもらいました。ロングヘアーをほぼ坊主にして、ウィッグを作ってもらいました。 ちなみに切った髪の一部はまだ大切にしまっています。ある時、親友とお茶をしている際に、報告がてら坊主になった頭をコッソリみせたら、彼女が急に泣き出して……。泣くことができない私の代わりに彼女が泣いてくれました。 仕事中はニット帽をかぶっていましたが頭が重くて、肩や首がいつも凝っていました。そんな日々を過ごしていて、2020年9月末から2021年10月末迄の1年ちょっとの間、誰にもばれずにウィッグ生活が送れました。 編集部: 食生活には変化がありましたか? 千田岡さん: 化学療法中は味覚が変わることがあるのですが、私の場合は白いご飯が食べられなくなりました。でも、「妊婦さんになっていたらこんな感じなのかなぁ」と妄想もしながら、気分を落とさないようになるべくハッピーに過ごしました。 編集部: 化学療法中の6回目はストップされたとのことですが、何があったのでしょうか? 千田岡さん: 2020年8月に卵巣がんと診断されて、翌月9月から1泊2日の化学療法を6クール行うことになり、5クール目までは順調に進んでいました。いざ6クール目というとき、肝機能低下がわかったのでストップしました。 翌月に退院し、しばらくは1カ月に1回のペースで検診、6月以降は3カ月に1回のペースで検診を受けています。 編集部: そうだったのですね……実際に、化学療法のときはどのようなことに注意されていましたか? 千田岡さん: 投薬後48時間は、抗がん剤の成分が私の排泄物や唾液、汗、血液に含まれると説明を受けていました。そのため、投薬の際は看護師さんが手袋を二重にする、私もお手洗いの際は細心の注意を払っていました。 当時はコロナ禍なこともあって、随分徹底していたように思います。あと、未だに足の裏の痺れは残っていますが、逆にこのくらいでよかったと思っています。