芸人・鈴木ジェロニモ「人生が肯定された」短歌を通じて見つけた本当の自分
「五・七・五・七・七」の31音で構成される短歌。5年前に短歌と出会った芸人の鈴木ジェロニモさんは、短歌を詠んでいくうちに「自分にはないと思っていた」感情のゆらぎを知ったといいます。短歌を通じて見つけた本当の自分について、お話を聞かせていただきました。 芸人・鈴木ジェロニモ「〇〇なときに読みたい」歌集&句集6選(写真)
■これまでの人生が肯定されたような感覚 ──鈴木さんは2019年から短歌を作り始めたそうですね。短歌との出会いによって、ご自身の中で感じる変化はありますか? 鈴木さん 「今までの人生も豊かだったんだな」と思い直せた気がします。短歌を読んだりつくったりしていくうちに、「これを短歌にしたら面白いな」と感じるような場面が、自分の過去にもたくさんあったことに気づいたんですよね。今まで捨てていた野菜の切れ端が実はおいしかった!みたいな。劇的な変化ではないけれど、これまでの人生が肯定されたような感覚がありました。 ──人生が肯定されたという感覚は、その後の日常や感情との向き合い方にも影響を与えたのではないでしょうか。 鈴木さん そうですね。自分が本当に感じたことを大事に持っておこうと思うようになりました。例えば、「全員号泣!」といわれる映画を観たときに、「感動したけど号泣ではなかったな」とか「それよりもあのワンシーンが妙に面白くて記憶に残っているな」みたいな自分だけの発見や気持ちって誰しも経験があるはずで。ただ、そのときに「号泣」というマジョリティが“正解”で、そこに合わせられなかった自分の感情は“不正解”だと感じてしまう心の働きもあると思うんです。 でも、それは「マジョリティじゃないからだめ」ではなくて、「マジョリティではない」というひとつの選択肢。短歌もお笑いのネタも、そういう自分だけの感情を大切にとっておくことが自分らしさの肯定につながるというか、むしろそれによって自分というものが作られていくんだなと。人と違う自分とか、“みんな”になれなかった自分を捨てずにちゃんと持っておくと、結果的にポジティブな感情になることが多い気がします。 ■みんなの“普通”がわからなかった自分が感じた希望 ──お話を伺っていると、短歌を読む・詠むという行為は自分を知ることでもあるように感じます。「“みんな”になれなかった自分」という感覚は、子どもの頃からありましたか? 鈴木さん 「とりあえずこれが正解」という空気に乗れない自分、という感覚はつねにありました。例えば、中学時代にジャージを腰まで下げてはく着くずし方が流行ったけれど、自分には意味がわからなくて。かっこいいとも思わないし、便利だとも思えない。仲間としての意思表示ならギリ理解できるけど、別に服装で意思表示をしなくても友達は友達だし…みたいな。 ほかにも、「普通はこう思うよね」みたいな会話があると思うんですけど、僕にはその“普通”を理解するのが難しい場面が多くて。毎回、その言葉を聞きながら「普通はそうなんだ…」と思いつつ、その場では特に言及せずにやりすごすことが多かったなと。だからこそ、自分の短歌に対して共感の反応をもらったときにすごく驚いたし、希望を持ったというか。 ──鈴木さんが感じた「希望」について、もう少し聞かせていただけますか。 鈴木さん 自分だけの経験として短歌にしたでき事が、「この経験あるよね」「私もこういうことありました」と、お笑いでいう“あるある”みたいに受け取られたときに、「自分はみんなと違う」と思っていたけれど、細かい点をたどっていくと意外に同じポイントもあるんだなって。 それを知ったときに、まわりのみんなが自然と共有していた価値観みたいなものはこれだったのかと。中学時代に腰ばきをしていた彼らにやっと追いつき始めたかも…という感じがありました。 ──もしかしたら、当時の鈴木さんは同級生に対して、どこか羨ましさを感じていたのかもしれませんね。 鈴木さん 多分あったと思います。僕は彼らのことをコミュニティの天才だと思っていたので。自分は何事もひとつひとつの意味を理解しないと乗れないけれど、彼らはすっと乗っかれる。 本当は自分もそうなりたいのに、なかなか思うように動けない。絶対に真似できないと思っていたけれど、今は天才のなり方がちょっとわかったというか、みんなこれを経てきたんだなと。 ■短歌を詠む過程で見つけた感情のさざ波 ──そうした気づきも含めて、短歌を詠むという行為がご自身の心のボタンを押したというか、もしかしたらセルフケアになっていたかもしれないという感覚はありますか? 鈴木さん いわゆるメンタルケア的なものとは真逆の動きかもしれませんが、僕はそもそも感情があんまり動かないというか、何事に対しても「うん、それで?」みたいな感覚があるんです。でも、どうやらほかの人には感動した、泣いた、怒った、みたいなものがあるらしいと。 そんな自分が短歌をつくるうえで、過去を振り返って「あの感情って怒りに近いのかな?」「あのときの気持ちはもしかして悲しみに近かったんじゃないか」と思い出しながら形にしていくと、自分は無感情人間だと思っていたし、そう思わされていた面もあるけれど、細部を見ればちゃんと感情の動きはあったんですよね。だから、短歌によって元気になったというよりは、「落ち込む」みたいな感情をやっと理解できたというか。 ──過去の自分を見つめ直す作業を通じて、自分の中で起きているさざ波のような感情の揺らぎに気づけるようになってきたと。 鈴木さん そうですね。例えば「友達の◯◯だったら、この感情がもっと増幅されて『やめろ!』って言うんだろうな」とか、「この感情は◯◯だったらきっと泣くんだろうな」っていうふうに割と自覚的になってきました。 ■やっと大きな感情を詠んだ歌にさわれるようになった ──そうした気づきや理解を深めていく過程で、寄り添ってくれた短歌はありますか? 鈴木さん 鈴木ちはねさんの『予言』という歌集は、感情の起伏が少ない自分に近いテイストの歌が多くて。例えば「車椅子をばこんと開く そういえばこんな気持ちがあったと思う」。たたまれた車椅子を開く瞬間の、人の関節を無理やり引っ張るような何とも言えない感情って自分にもあったなと。そういう点で、自分はこの歌集にすごく乗れたんですよね。 短歌って「恋人と出会って心に虹がかかった」みたいにビッグウェーブな感情を詠むものだというイメージがあったので、最初に読んだときはピンとこなかったけれど、何回も読み返すうちに「これはすごく重要な領域のことを表現しているんだ」と気がついたんです。こういう感情の先に、みんなと同じように落ち込んだり怒れたりする自分が現れるかもしれない…という序章を感じられるところが好きです。 ──とても大切な出会いの一冊ですね。 鈴木さん そうなんです。『予言』で感情のさざ波の重要性を考え始めたときに、現代短歌の第一人者である穂村弘さんの『ラインマーカーズ』で大きな感情を取り扱う歌に出会いました。 例えば「『キバ』『キバ』とふたり八重歯をむき出せば花降りかかる髪に背中に」という歌は、恋人同士のような距離の近いふたりが、八重歯を「キバみたいでしょ」と見せ合う甘美な世界。その無邪気さ、魂の純度の高さ、本当にお互いが好きで仕方ないみたいなところに降ってくる花びらを振り払うわけでもなく、ただ受け入れている。 自分の人生にこういう経験はないけれども、もし『予言』で感じた序章の先にたど着つけたなら、自分の過去にもこういうシーンが存在したのかもしれない…と思えたというか。やっとこういう歌に手が届くように、さわれるようになったんですよね。 ▶︎芸人・鈴木ジェロニモ「仕事で失敗したときに読みたい短歌」とおすすめの歌集 へ続く お笑い芸人・歌人 鈴木ジェロニモ 1994年生まれ、栃木県さくら市出身。プロダクション人力舎所属。R-1グランプリ2023、ABCお笑いグランプリ2024準決勝進出。TBS『ラヴィット!』の「第2回耳心地いい-1GP」準優勝。第4回・第5回笹井宏之賞、第65回短歌研究新人賞最終選考。ボイスパーカッションを取り入れたネタが特徴的。2022年より短歌のライブイベント「ジェロニモ短歌賞」を主催。2023年にプチ歌集『晴れていたら絶景』を刊行。YouTube動画「説明」が穂村弘氏、高橋源一郎氏に注目されるなどじわじわ話題になっている。 鈴木ジェロニモさんの歌集『晴れていたら絶景』¥1000/芸人短歌 撮影/垂水佳菜 構成・取材・文/国分美由紀