片岡義男の「回顧録」#3──道路はそのままで小説になる 『湾岸道路』と『夜霧の第二国道』
HARLEY-DAVIDSON FXS1200ローライダー ミニヒストリー
片岡義男氏の小説『湾岸道路』に描かれる空気感は、現在の湾岸道路を思い描くとイメージがかなり違ってしまう。小説の舞台となった40年以上前の湾岸道路はまだ開発途中のそれであり、信号機や道路標識はもちろん、地面や草木までもが人為的に作られた埋立地だった。未完成のジオラマのようなその一帯は、それまでの東京には存在しなかった異空間であり、そこで繰り広げられるストーリーもまた、とびきりシュールでクールな味わいだ。 美男と美女、誰もが憧れるような夫婦関係に訪れた、突然の別れ。もちろん伏線はあるのだが、主人公の女性の視点に立てば、それはあまりに唐突な出来事だった。主人公の男はハーレーに乗って立ち去り、ひとり湾岸道路に置き去りにされた女性は、消えてしまった男を客観的に理解しようと努め、やがて免許を取得して同じようにハーレーに乗って旅立つという回答を導き出す。そして誰もいなくなる。 彼女を旅に駆り立てたものはなにか。その真意は定かではないが、彼女がハーレーに跨って旅立ったことは理解できる。男を追いかけるでもなく、まったく新しい生き方に踏み出す彼女には、Ⅴツインが生み出す強大なトルクと鼓動が必要だった。目的地のない旅にライダーを誘う、それがハーレーなのだ。湾岸道路という非日常的空間で描かれる唯一のリアル。ハーレー・ローライダーとは、どんなオートバイなのだろうか。
■混乱期に誕生した、奇跡の純正カスタムモデル
1907年に誕生したハーレーダビッドソンは、アメリカを象徴するオートバイとして不動の地位を確立している。だが、その経営は決して順風満帆なものではなかった。ハーレーダビッドソンに最大の危機が訪れたのは、69年のAMFによる買収劇であった。 日本車の台頭などにより、かつての好調な販売に翳りが見えていたハーレーは、経営不振から、製造機器メーカーのAMF(アメリカン・マシン・アンド・ファウンドリー)による買収を受け入れた。だが、大量生産で利益を上げようとするAMFの方針は、やがて品質低下という深刻な事態を招いてしまう。顧客の信用を失い、苦境に立たされたハーレー。だが、そのピンチを一人の男が救った。創立者の一人、オールド・ビル・ダビッドソンの孫であるウィリー・G・ダビッドソンであった。 当時、デザイン部門に籍を置いていたウィリー・Gは、それまでのハーレーファンの中核を担っていた保守的なユーザーではなく、まだ少数派だったカスタム好きに注目。既存モデルのパーツを組み合わせて、まったく新しいハーレーを生み出した。これが71年に発表された「FX1200スーパーグライド」である。ビッグツアラーであるFL系のフレームに、軽快なXLスポーツスター系のFフォークを移植したこのモデルは、FXというコードを与えられ、ハーレーの新たな潮流となった。そして77年、彼はこのスーパーグライドをベースに、ドラッグバーハンドルを装備し、燃料タンクに速度計と回転計を縦に配置した斬新なモデルを送り出した。スーパーグライドのシートを低くした着座ポジションから、「FXS1200ローライダー」と名付けられたこのモデルは、クールなカスタムハーレーを求めていた多くのファンの注目を集め、発売と同時に大ヒットを記録したのである。 翌78年、CDI点火を採用したローライダーは、ヘッドアングルをさらに寝かせたスタイルに進化。79年には排気量を1,340㏄に拡大し、バックホーンタイプのアップハンドルを装着した「FXS80ローライダー」もラインナップに加えられた。