【Q&A】「ハンセン病」とは?
「ハンセン病」――。過去の病気というイメージがあるかもしれませんが、国内にはいまでも療養所があり、元患者の方々が暮らしています。また、2000年代に入っても元ハンセン病患者の受け入れを宿側が拒否する事案が起きました。患者やその家族が差別されるという構図は、新型コロナウイルスと重なるところもあります。ハンセン病とはどのような感染症なのでしょうか。また、患者らは療養所でどのように過ごしてきたのでしょうか。厚生労働省・日本財団の資料、国立ハンセン病資料館への取材を基に解説します。(三重テレビ放送・小川秀幸報道制作局長)
Q:ハンセン病は、どんな病気?
「らい菌」に感染することで起こる病気で、菌を発見したノルウェーの医師の名前をとって「ハンセン病」と呼ばれています。汗が出なくなったり、痛み・熱さを感じられなくなったりするのが主な症状で、治療法がなかった時代に発病した人の中には、顔や手足に変形などの後遺症が残る人もいました。 感染力は弱く、衛生状態や医療状況が良い現代の日本でハンセン病にかかる人は年間0~数人。治療法も確立されています。しかし世界に目を向けると、いまだに開発途上国を中心に年間で約20万人の新規感染者が報告されています。
Q: 国はどんな政策をとってきたのですか?
国はハンセン病(かつては「らい病」と呼ばれた)にかかった人を療養所へ収容する隔離政策を進めました。 1907年に「癩(らい)予防ニ関スル件」を制定し、神社など人の目に着く場所にいた患者をハンセン病療養所に収容することを定めました。31年には「癩予防法」に改正され、在宅者を含め全ての患者の強制隔離を図りました。戦後、53年には「らい予防法」が成立しましたが、骨格は変わりませんでした。 ※らい予防法は96年に廃止
Q:なぜ隔離が進められたのでしょうか?
1897年の国際らい会議で「予防のためには隔離が必要」と決議されました。また、日本が「文明国」の仲間入りを目指す中、患者が街中で目立つと国の体面にかかわる、との判断があった側面も否定できません。 国のハンセン病政策に影響力を持っていた光田健輔医師(1876~1964)が「ハンセン病にかかった患者や家族は不幸になる」との考えを持っていたことや、戦前においては、戦争に向かっていく中でナショナリズムが高まり、「祖国浄化」が叫ばれた時代背景が影響したと指摘する声もあります。