【Q&A】「ハンセン病」とは?
Q:療養所に収容後、患者・元患者や家族らの暮らしはどうなったのでしょうか?
療養所へ入る際には、ふるさとを捨て、大切な家族と別れなければなりませんでした。そして、病気が治っても生涯療養所から出ることができませんでした。いま療養所に暮らす人々は元患者です。 差別が家族に及ばないよう、療養所の中では、本名ではなく園名で暮らす人も多くいました。結婚は認められていたものの子どもを産むことは許されませんでした。 また、職員の数が十分でなかったため、施設の建築などの土木工事や農作業、炊事、看護、し尿処理、火葬に至るまで、療養所を運営する上での作業の多くが入所者に割り当てられました。入所者のうち反抗的とみなされた人などは、監禁室(監房)に入れられる措置も取られました。 差別は本人以外にも及びました。患者が住んでいた家は保健所や警察によって徹底的に消毒され、家族が村八分にされたり、引越しを余儀なくされたりしたのです。
Q:ハンセン病療養所は、どんなところですか。
全国に13か所の国立療養所、1か所の私立療養所があります。設置当初は隔離が目的だったため、その多くは、海や山に囲まれた交通が不便なところにあります。
病気の治療が行われてきたのはもちろんですが、入所者にとっては生活の場にもなっています。療養所には診療棟のほか、自治会やショッピング棟、理髪室、郵便局、宗教施設などがあり、一つの街のようです。 2020年5月現在の国立ハンセン病療養所の入所者数は1090人で、平均年齢は86.3歳(厚生労働省調べ)。1996年に「らい予防法」が廃止されても、退所する人は多くありませんでした。 患者や元患者は亡くなっても家族の下に戻ることできませんでした。そのため、全ての療養所には納骨堂があります。差別の厳しさを物語っているようです。
Q:ハンセン病に対する差別はなくなったの?
この病気は「らい病」「天刑病」「業病」などと呼ばれ、国が「恐ろしい伝染病」と喧伝(けんでん)したこともあり、偏見の対象になってきました。 「らい予防法」が廃止され「偏見がなくなってきた」と話す入所者がいる一方、2003年には、熊本県内のホテルがハンセン病元患者の宿泊を拒否する事案が起き、現代でも「冷たい眼差し」が残っていることが表出しました。 さらに、三重県津市が17年に行った市民意識調査では「ハンセン病元患者に対する偏見や差別が残っている」と感じている人の割合が38%に上っています(「そうは思わない」という趣旨の回答は16%)。 これらのことから、差別・偏見がなくなったとは言えない状態です。
Q:最近のハンセン病をめぐる動きを教えて。
09年に「ハンセン病問題の解決の促進に関する法律(ハンセン病問題基本法)」が施行されたのを受け、療養所の施設・敷地が開放され、保育園や特別養護老人ホームが建設されたり、診療所では地域住民の診察が可能になったりしました。 また17年には、二度と同じ過ちを繰り返さないようにと、ハンセン病療養所のユネスコ世界文化遺産登録を目指すNPОが発足。一部の建物はすでに国の登録有形文化財になっています。 司法の場では元患者家族が深刻な差別を受けたとして「家族訴訟」を起こし家族らの訴えが認められました。19年に国が控訴せず、補償や名誉回復の立法措置がとられています。