150色の色鉛筆で描かれる鮮やかな絵。ダウン症の娘の夢、パリでのアートフェアへの出展が今秋ついに実現!!【体験談】
ダウン症候群(以下ダウン症)のある高田美貴さん(25歳)は、生後4カ月から始めた療育で鉛筆と出会い、1歳4カ月から絵を描き始めました。現在はアーティストMIKIとして精力的に活動。2024年10月には、フランス・パリのルーヴル美術館地下のカルーゼル・デュ・ルーヴル展示会場で行われるアートフェアで、絵を展示する予定です。 【画像】美貴さん1歳のお誕生日のころ。子ども番組のダンスを見ながら、体を動かしたりするように。 全3回のインタビューの3回目は、美貴さんが画家になることを考え始めた中学生のときから現在までのことと、これからの目標などについて聞きました。
「美貴は絵を描く人になる」と亡くなる前に実母が。その直後に大きな賞を受賞
――美貴さんは幼児期から絵を描くことが大好きで、中学2年生、14歳のときに描いた障がい者週間のポスターが、内閣府特命担当大臣賞の優秀賞を受賞しました。 敦子さん(以下敬称略) このポスターはまず、京都市のコンクールで最優秀賞をいただいたんです。それだけでもすごいことで、美貴も私も大喜びしました。 京都市が内閣府に推薦してくださることになり、後日、中学校の先生から連絡がありました。「1524点の応募作品の中から、美貴さんの作品が内閣府特命担当大臣賞の優秀賞に選ばれました!」って。感激するやらビックリするやら…。 受賞の記念に賞状と盾とメダルをいただいたんですが、美貴はとくにメダルがお気に入り。「金メダルがもらえてうれしい!!」って、目を輝かせていました。 この受賞は、美貴の大きな自信につながったと思います。「たくさんの人に喜んでもらえる絵を描こう」っていう意欲がますます大きくなっていることが、絵に取り組む美貴の姿から感じられました。 ――敦子さんのお母さんも、「美貴さんには絵がいい」と考えていたとか。 敦子 母は美貴が小さいころから一緒に絵を描いて遊んでくれました。母は美貴が14歳になる少し前の2012年7月に他界したんですが、病室で私と2人でいたとき、「美貴は絵のお仕事をする人になるよ。楽しみにしてなさい」って言ったんです。私はそのとき、「そうなれたらいいな」くらいの気持ちで聞いていました。 ところが、母が亡くなった3カ月後に、内閣府特命担当大臣賞の優秀賞を受賞。母の言葉を思い出し、「絵の道だな!!」ってそのとき私も確信したんです。