覇権アニメ最有力の『ダンダダン』をレビュー! こういうのが見たかった……俺たちの本能(リピドー)をぶち上げる快作アニメが登場!【アマプラおすすめアニメレビュー】
『ダンダダン』をレビュー:「野性の暴走」と「繊細さ」が自己投影を加速させる
少年漫画が好きな人なら「力が抑えきれない!」と主人公の自我が崩壊し、暴走するシーンは良く見かけると思います。本作『ダンダダン』でも、ターボババアに呪われたオカルンがモモの制御から抜けて、暴走しそうになるという場面は頻繁に描かれています。 こうした「野性の暴走」とも言える場面は、少年漫画ではおなじみの要素になります。 『ナルト』ではナルトの九尾狐、『BLEACH』では黒崎一護の虚、『呪術廻戦』では虎杖悠仁の宿儺と、主人公はたいてい自分の内に狂暴な化け物を飼っており、その化け物が何らかのきっかけで暴走してしまうということが少年漫画では少なからず起こります。しかも、こうした暴走シーンは名場面として後に語り継がれることが多く、その点からも観客の潜在的な欲求につながる要素だと推測されます。 では「野性の暴走」は観客のどんな感覚とつながるのでしょうか? もちろんシンプルに日ごろの鬱憤を晴らせるというのもありますが、思春期の葛藤とつながる部分もあるのかもしれません。特に思春期は性の目覚めもありますから、自分の中の野性を強く意識するタイミングですし、同時にそれを抑えなければならないと堪えるための理性も発達する時期です。 誰もが内なるターボババアや宿儺、九尾狐と対峙し、理性との摩擦で葛藤し悩むタイミングと言っても良いでしょう。ターボババアに操られそうになり、なんとか理性を取り戻し……というターボババアとオカルンの主導権争いは、まさに野性と理性の内的な葛藤を表現しているようにも見えます。もちろん作中で起こっていることはフィクションですが、こうした野性と理性の激しいつばぜり合いで苦しむ状態は、思春期の男子にとってリアルそのものと言えます。 だからこそターボババアと心の中で綱引きするオカルンのことを自分事として受け止めやすいですし、普段強めに野性を抑えているからこそオカルンが力を解放する野性的なシーンには心が躍り、ある種のカタルシスを感じるのだと考えられます。 また「野性の暴走」だけでなく、オカルンの繊細過ぎる性格も観客の自己投影を促すポイントになっていると思われます。オカルンは友達ができないことをコンプレックスに感じており、せっかくできた関係性もちょっとしたことで壊れるのではないかと、人間関係にやや神経質になっているところがあります。 現在いわゆる「コミュ障」を自称する若者や孤独な若者は少なくないと言われていますし、繊細過ぎて及び腰になってしまうあたりは『呪術廻戦0』の乙骨憂太や『ぼっち・ざ・ろっく!』のぼっちちゃんにも見られる特徴です。これらの作品がいずれも大ヒットしていることから考えると、こうしたキャラが持つコミュニケーションにおける自信の無さや関係性への不安は一定程度共有されている感覚なのかもしれません。 このようにオカルンは、野性と理性のにらみ合いという思春期の普遍的な悩みと同時に、繊細かつ孤独な現代的な若者像を内包している、今の若者が自己投影せざるを得ない魅力的なキャラクターに仕上がっていると言えそうです。
【関連記事】
- 映画『きみの色』をレビュー 山田尚子×吉田玲子の最強タッグが放つ、いい子のための処方箋! 反抗できないけど、自立したい…若者の心にギリギリまで迫る傑作が誕生!
- 空前の「大ガールズバンド時代」が到来! 『ガールズバンドクライ』や『ぼっち・ざ・ろっく!』などバンドアニメはなぜこれほど人を惹き付けるのか?
- この作品からは誰も逃げられない『デットデットデーモンズデデデデストラクション 前章』をレビュー&考察 “シン・終わらない日常”の時代を生きる僕たちに突き刺さる大大大大傑作が誕生!
- 『劇場総集編ぼっち・ざ・ろっく!Re:』を本気レビュー! なぜ「ぼざろ」は社会現象になったのか? セカイ系と“訂正する力”から見る「ぼざろ」が今に刺さる理由
- 予定調和をぶっ壊す『戦隊大失格』をレビュー&考察 『鬼滅の刃』や『ジョーカー』との意外な共通点とは? “バーンアウト”と“階級社会”に抗うヒントがここに…!?