元編集者が内幕を暴露…“右翼雑誌”『WiLL』『Hanada』の爆売れの理由は「朝日新聞叩き」だった!一時13万部の大人気
右も左も包摂する土壌があった
それは雑誌の誌面にも反映されていた。2015年3月号の〈わが体験的メディア論〉には、『WiLL』の天敵・朝日新聞出身の轡田隆史氏がコラムを寄せている。あるいは『WiLL』の連載陣にも、右でないだけでなくリベラル、左翼としか言いようがない執筆者が名を連ねていた。 その最も象徴的な存在が、元『噂の真相』編集長の岡留安則氏だろう。学生運動の闘士だった岡留氏は、創刊号から3年にわたって、『WiLL』に連載していたのである。どこからどう見ても特集の傾向とは相容れない思想の持ち主だが、花田編集長との個人的な付き合いから掲載されていた。 この連載に対して読者から「なぜこんな連載が掲載されているのか」との指摘が来たこともなくはなかったが、いわゆるクレームや、極端な言い方で排除を求めるようなもの、不買をちらつかせるようなものは記憶にない。ほかにも連載陣にはオバタカズユキ氏やいしかわじゅん氏など、やはりどう見てもリベラル(左派)、あるいは少なくとも右では全くない、という執筆者がそろっていた。 また『Hanada』になってからも、「右派」とは全く無関係の連載陣が雑誌の脇を固めている。在日韓国人の執筆者や、韓国・中国出身者、その後日本国籍を取得した執筆者も登場している。ある在日韓国人の執筆者は、「自分のように在日同胞に対しても時に厳しいことを書いたり、歴史問題について日本側の言い分を批判しなかったりする私のような書き手は、リベラルの媒体では書かせてもらえない」と言っていた。一定の方向性というのはあるが、必ずしも「画一的な保守・右派だけの排他的な雑誌」ではなかったのだ。 読者は、様々な感想を抱きつつも多様な執筆者の、多様な意見が掲載されている状態を支持していた(少なくとも許容していた)のである。むしろこれこそが、雑誌の醍醐味だろう。
「反朝日新聞」は雑誌の矜持
それにしても、なぜ朝日新聞をこうも目の敵にするのか。創刊初期の朝日新聞批判特集のタイトルをいくつか並べてみても、〈朝日は腐っている!〉(2005年11月号)、〈許すな! 中国と朝日〉(2006年2月号)、〈朝日新聞の大罪〉(2008年9月号)と穏やかでない。 これは花田編集長が文藝春秋社に所属していた頃からの考えに基づく「雑誌は大メディアのカウンターであれ」という思想から来ている。雑誌の役割は、テレビや新聞のような大メディアが取り上げない視点を取り上げ、疑問を呈すことにある。新聞は社会の公器、社会の木鐸として政権や行政の監視を一つの役割としている。テレビもそうだろう。 しかし新聞やテレビのようなマスメディアには絶大な影響力があり、第四の権力とも呼ばれる。そうである以上、マスメディアを監視する役割を誰かが担う必要がある。雑誌こそがまさに、その役割を担うという認識だ。 「喧嘩を売るなら、でかい相手がいい」と朝日新聞を批判していた面もある。それで実際に訴訟になって大変なことにもなったのだが、これは新聞・テレビが情報発信の多くを担い、ネットメディアやSNS、動画サイトなどが出現する以前の、「大メディア」が存在していた頃の名残でもあった。 その中でも朝日新聞は、特に既存の権威の象徴であった。大勢が読んでいるだけでなく、特に知的エリート層が好んで読み、識者や執筆者として登場するためである。それを庶民の目線から批判するのが花田編集長のスタンスだ。文春時代はそうした視点からの批判であったろうし、『WiLL』になってからは政治的スタンスの異なる保守からの批判という側面をより強めたことになる。