元編集者が内幕を暴露…“右翼雑誌”『WiLL』『Hanada』の爆売れの理由は「朝日新聞叩き」だった!一時13万部の大人気
“右翼雑誌”と呼ばれることもある、『WiLL』と『Hanada』。休刊が相次ぐ雑誌業界の中で、『WiLL』は一時13万6000部(公称)を達成。いかに『WiLL』『Hanada』が部数を伸ばしていったのか。そこには週刊誌づくりで養った大メディアへのカウンター意識と、月刊誌にあるまじきスピード感にあったという。その裏側を編集部内でつぶさに見てきたライター、梶原麻衣子氏がつまびらかにした。 ※本記事は梶原麻衣子著「“右翼”雑誌」の舞台裏」(星海社新書)から抜粋、再構成したものです。
「朝日叩きの急先鋒」が朝日へ入社する時代
ジャーナリズムと保守派の接点として『WiLL』『Hanada』のメインとなり、最も得意としてきたのは、文春以来の「反朝日新聞的姿勢」だ。 『WiLL』は、発売直後は部数が振るわず、「3号雑誌(3号で休刊になる雑誌)」とささやかれたこともある。それが大ブレイクしたのが、4号目(2005年4月号)の朝日新聞批判特集だった。当時筆者は読者の立場だったが、鮮烈な印象を受けたのを覚えている。 すでに『諸君!』や『正論』で再三にわたり朝日新聞の批判は展開されていたが、やはりこれらとはどこか違う、企画の立て方、タイトルのセンス、読みやすさなど様々な点で新鮮さが感じられるものだった。『諸君!』『正論』にも老舗の良さはあったのだが、後発の『WiLL』は筆者にとってまさに「自分の雑誌」だった。 朝日特集でブレイクし、その後も朝日批判が大きなテーマの一つとなる『WiLL』だが、創刊前の花田編集長は一時とはいえ朝日新聞社に在籍したこともある。これまた「無節操」と評されそうだが、ここが雑誌人の面白いところでもある。当時、朝日社内からは「なぜあんなに朝日を叩いてきた人を入社させるのか」との声もあったそうだが、その意味では移籍した花田編集長も、受け入れた側の朝日新聞も、なかなか融通無碍で面白い時代だったのだろう。