震災の後遺症を癒す「シマネからの手紙」 5年後に生まれた「小さなつながり」
「いつか島根にも遊びに来てください」。東北の太平洋沿岸で暮らす女性、SAKUYAさんのもとに一通の手紙が届いた。差出人の住所は島根県の益田市。メールやLINEを使えば一瞬でメッセージを伝えられる現在、わざわざ約1000キロもの道のりを旅して、手書きの言葉が届けられた。きっかけは、東日本大震災から5年後に行われた被災地バスツアー。島根県から参加した30代の女性が、宮城県で被災した同年代の女性と出会い、「文通」という形の小さな交流が生まれたのだ。その背後には、2人それぞれの葛藤があった。
「何もできない自分が不甲斐なかった」
「何も言えなかった。自然って本当に怖いんだっていうのを実感する映像でした」 島根県益田市在住の吉岡恵さん(35)は、5年前を思い出す。東日本大震災のあの日、青い海に面した町や村をあっけなく飲み込んだ津波の映像は脳裏に焼きつき、夢に出てくるほどだった。 流れてくる映像をただ見つめることしかできなかった。東北から遠く離れた島根県で暮らす吉岡さんにとっても、「3.11」は衝撃的な出来事だった。 吉岡さんが勤めていたのは、劇場と美術館が一体になった文化センター。震災が起きると、客足が大幅に減った。日本全体がただごとでない空気に覆われていることを感じた。 そんな中、消防士の友人が被災地に向かうと聞いた。 「東北だけの問題ではないんだ。私もボランティアに参加したい」 心の中でそう思った。しかし、仕事柄、長期の休みは取りづらい。そもそも東北の被災地は島根から遠い。たとえば、東日本大震災で市町村として最大の犠牲者を出した石巻市は、吉岡さんが住む益田市から約1000キロも離れていた。 結局、被災地に赴くことはできなかった。 「いま思えば、言い訳にしていたのかな、と。思っているだけで、何もできずに過ごして、自己嫌悪に陥りました。何もできない自分が不甲斐なくて、5年間ずっと、悶々としていたんです」
5年後に訪れた「被災地訪問」のチャンス
東日本で起きた災害を吉岡さんが他人事に思えないのには、理由がある。津波の影響でメルトダウンを起こした福島第一原発。そこから数十キロの福島県郡山市を離れ、島根県益田市に避難してきた友人の存在だ。 「すごく仲が良くて、くだらない話はたくさんするのに、震災のこととなると心を閉ざしてしまう。無理に話してほしいとは思わないけれど、もどかしい気持ちになるんです」 震災から月日がたっても、吉岡さんは被災地のことを気にかけていた。 一方、日本社会の中で「風化」は確実に進んでいた。そのことを感じさせる出来事が、今年の3月11日にあった。 東日本大震災から5年目のその日、吉岡さんの文化センターでは、掲げている国旗と県旗を半旗にした。震災で亡くなった人々への哀悼の意を込めた。ところが、ある年配の来館者から怒りの声が届いたのだ。 吉岡さんが「今日は東日本大震災が起こった日ですよ」と伝えると、その人は「あぁ、そういえば」と言って、去っていった。 「3月11日が近づくとテレビでは連日震災の話題を流すのに、なんでそんなことを言うのかと、すごくショックでした。こうして人は忘れていくんだと思いました」 そんな中、たまたまFacebookで知ったのが、石巻と島根を結ぶ「いしのまねきバス」のツアーだった。 「このチャンスを逃したら、この先、被災地を訪れることはないんじゃないか」。そう思い、すぐさま参加を申し込んだ。吉岡さんが被災地に足を運ぶと聞いた郡山出身の友人は「そんな風に私たちのことを考えてくれる人が益田にもいるんだ!」と喜んでくれた。