震災の後遺症を癒す「シマネからの手紙」 5年後に生まれた「小さなつながり」
島根から石巻へ走った「いしのまねきバス」
「いしのまき」と「しまね」をかけて「いしのまねき」。そう名付けられたバスツアーを発案したのは、島根県雲南市の福祉職員、村上尚実さん(24)だ。バス運行の資金捻出のためにインターネットのクラウドファンディングで寄付を呼びかけ、仲間とともに準備を進めた。 被災地の中で石巻が選ばれたのは、2014年の春ごろに島根県奥出雲町から石巻市に移住した落合孝行さん(28)との出会いがあったからだ。落合さんは介護福祉士として、石巻の仮設住宅などで暮らす高齢者の健康づくりに取り組んでいる。移住後に築いた地域の人々とのつながりを生かして、ツアーの訪問先やプログラムを調整してくれたのだ。 4月14日の午後6時、島根県の出雲を出発したバスは、19時間後の翌日午後1時、石巻に到着した。バスには、10代から60代まで幅広い年齢の12人が乗っていた。 ただ単に被災地を「見学」するだけでなく、参加者や現地の人との「交流」を重視したプログラム。バスでの移動中や被災地の見学の合間に、それぞれの意見や思いを交わし合った。
ツアーを企画した村上さんは2012年の夏、大学の先輩に誘われて宮城県気仙沼市を訪れ、被災地の状況を目の当たりにした。その後も、全国の大学生たちがボランティアに向かうバスツアーの島根県代表を務めるなど、被災地との交流を継続的に行ってきた。 これまでの活動を通して、村上さんが気付いたのは、現地の人々と言葉を交わして、直接つながることの重要性だ。今回の「いしのまねき」バスツアーも、自分が暮らす島根と被災地の人々を「つなげたい」という思いで企画した。 「人と会うことがすごく大事だと、私は思っていて。震災のことを聞くのはもちろん勉強になりますけど、『魚、おいしいですね』とか、他愛のない会話をするので良いんじゃないか。ただ寄り添う。そこに一緒にいる。そういうことが大事なんだと思います」
「大川小の悲劇を受け止められるか心配だった」
「いしのまねきバス」ツアーの2日目。一行は石巻市釜谷地区の大川小学校を訪れた。大津波が襲ったあの日、校庭で待機していた児童76名のうち72名、教員11名のうち10名が犠牲になるという悲劇が起こった場所である。 その現場で、当時6年生だった娘を亡くした佐藤敏郎さんが「語り部」として、ツアーの参加者たちに語りかけた。 「救えた命、救うべき命……守ってほしかった。先生たちが一生懸命だったことはよくわかるんです。でも、気持ちがバラバラだった。日常の学校経営や組織体制の問題が引き起こしたこと。命以上に守るべきものがあるのか」