震災の後遺症を癒す「シマネからの手紙」 5年後に生まれた「小さなつながり」
以前から大川小学校のニュースに心を痛めていた吉岡さんは、今回の訪問を前にして、複雑な思いを抱いていた。 「大川小学校での出来事は、私にとってかなり衝撃的なことでした。悲劇が起こった場所を訪れることになって、正直、受け止めきれるか心配だったんです。でも、『この話をしっかり聞かなければ、私は益田に帰れない』とも思っていました。佐藤さんの悔しさと忘れてほしくないという気持ちが伝わってきました」
震災から5年後、語り始めた思い
ツアーの3日目に訪れたのは、石巻市北部にある図書館「川の上百俵館(かわのかみひゃっぴょうかん)」。そこには、3人の語り部が来てくれた。その中には、石巻市の西隣の東松島市に住む女性もいた。 「大好きだったふるさとには、もう二度と戻れなくなってしまいました」 そう口にした女性は、3年前まで故郷で会社を経営していた。被災後、場所を移転して一部再開したものの、以前のようには運営がうまくいかず、休業を余儀なくされた。現在は、心身の健康を取り戻すために静養中だという。 地元で「蘭空」という音楽ユニットを組み、「SAKUYA」の名で歌っている彼女。音楽活動の始まりは、震災から半年後、仮設住宅の集会場でのライブだった。市民ミュージカルの活動を通じて、今回のツアーのコーディネーターを務めた落合さんと知り合った。 その落合さんから声をかけられ、SAKUYAさんはツアーに「語り部」として参加することになった。被災経験を人前で話すのは、これが初めてだった。 「最近まで、海に近づくことすらできませんでした。5年経った今でも、正直まだ辛いし、お話しすることについても、とても迷いました。でも、落合さんと話していて、『風化は止められないかもしれないけれど、言葉で伝えることで私たちの経験を次の未来につなぎたい』という思いが強まり、語り部として話すことを決意したんです」
震災では、いったん離れ離れになった両親とは奇跡的に再会したものの、多くの親類や友人、仕事仲間を亡くした。津波に飲まれ、泥にまみれて傷だらけになった両親と再会した時、嬉しかったはずなのに、感情をなくしたかのように呆然としていた。その時の違和感は今でも忘れられない。 低地に建っていた自宅や会社の作業場は壊滅的な被害を受けた。SAKUYAさん自身にも異変が起きた。気付いたのは、震災から2年後のことだ。 「時が経つにつれ、心の状態がしんどくなっていきました。生き残ってしまったという罪悪感にも似た気持ち、全壊して解体もできずに残る我が家が朽ちていく様子、人が入って物色していった跡……布団や窓のサッシが引っこ抜かれていたこともありました」 自宅の解体が終盤に差し掛かったころ、自分の心身が壊れていることに気付いた。 「周りのみんなも被災者、みんなの方が大変なんだからと言い聞かせていて、自分が病んでいることに気付かなかった。誰にも悩みを話すことができませんでした。そんな時、職場の部下から『顔色が悪いですよ、大丈夫ですか?』と声をかけられたんです」 考えてみれば、「あの日」以来、ずっとめまいや動悸に悩まされてきた。症状が出ると事務所の奥に引っ込み、落ち着いたら仕事場に出ていく。そんなことを繰り返していた。 「私は社員の一言があったから、心のダメージに気付くことができた。やっぱり声がけが大事。周りの人が声をかけてあげることで、初めて気付くことがあると思います。それ以来、自分の不調や悩みを周りに隠すのをやめました」