震災の後遺症を癒す「シマネからの手紙」 5年後に生まれた「小さなつながり」
「自分にできることはこれだ!」
SAKUYAさんが心身を壊して初めて感じたのは、働き手世代への「心のケア」が全くないということだ。以来、避難所の集会所や地域の音楽イベントなどで歌を披露しながら、周りの人々を少しでも勇気付けられないかと考えてきた。 「震災の直後はとにかく必死だったから、なんだか夢の中にいるみたいで。でも2年目になると、ボランティアの方々が急激に少なくなって、現実に引き戻されたんです。もちろん、みなさんの生活を壊してまで支援してほしいとは思いません。でも、撤収はピリオドが打たれたかのように一斉でした。周りも私も、だんだん落ち込んでいって、人との関わりを拒みたくなっていくのがわかりました」 SAKUYAさんはそう語った。すると、その横に座っていた吉岡さんが口を開いた。
「私は心のケアの専門家ではないし、瓦礫ももう片付いている。でも何かしたくて、それを見つけたくて、今回参加したんです。私には、何ができるでしょうか?」 そうたずねた吉岡さんに、SAKUYAさんが提案したのは、絵葉書や手紙のやりとりだった。 「今でも消えない心の後遺症がある中で、ちょっとした言葉を交わす、綺麗なものを見る、見る景色が変わるというのは、すごく大事なこと。そういう楽しみがあるだけでも、随分違うと思います」 「そんなことでいいんですか!」。吉岡さんは目をパッと見開いて言った。 「孤立させない。気にかけてあげる。それだけでも十分じゃないかと思います。寄り添ってあげることはできるはず。おっかなびっくりではなくて、細く長く、みんなと関わっていってほしい」 SAKUYAさんが「文通」を提案したのは、そんな思いからだった。吉岡さんは、その提案をもらったときの気持ちをこう説明する。 「ツアーに参加するまでは、自分が被災地にどう関わっていけばいいのか、具体的なことは思い浮かびませんでした。ただ、友達のこともあって、『東北の人たちに寄り添いたい』という気持ちだけはありました。 そんな時、SAKUYAさんのお話を聞いて、『これだ!』って思ったんです。言い方はおかしいかもしれないけど、『そんなことで良いんだ』と。遠くにいるからこそ、つながってほしい。そんな気持ちを聞いて、『自分のすべきことはこれだ!』と思いました」