手塚治虫の知られざる傑作「サンダーマスク」
物語は2つの宇宙生命体サンダーとデカンダーの闘争、そしてデカンダーの憑依対象となった女性、高瀬まゆみと、サンダーを憑依させる光一の恋愛模様を軸として展開する。愛し合う2人が、宇宙生命体を憑依させて戦わねばならないのだ。 手塚治虫、ウルトラマン直系というべき特撮番組の企画から、どうやってこんな劇的なストーリーを思いついた? そして、デカンダーが地球生命に憑依しにくい理由が明らかになる。サンダーが炭素生命体であるのに対して、デカンダーはケイ素を主成分とするケイ素生命体であった。 原子番号6の炭素と、同14のケイ素は性質が似ているので、SF小説では古くから宇宙生命としてケイ素生命体が登場していた。アメリカのSF作家アイザック・アシモフの短編「もの言う石」(1955年)に登場する宇宙生命体“シリコニー”が有名だ。 かくして物語は一気に、宇宙における炭素生命体とケイ素生命体の激突にスケールアップする。 この展開でハッピーエンドになるはずもないのだが、そのラストがいかにも手塚らしくフェティッシュでエロい。少年漫画雑誌連載なのに、いったいこのエロさはどうしたことかというぐらいにエロい。これはぜひ、各自手に取って読んでもらいたい。 本稿を書くために「サンダーマスク」を再読して思うのは、1971年秋の段階で、虫プロの経営で痛めつけられていた手塚の感性と創作意欲は、意外なことに完全にスタンバイ状態になっていたであろう、ということだ。この年に虫プロ経営から身を引いたことが関係しているのかもしれない。後は、発表の場さえあればよかった。虫プロと虫プロ商事が倒産が避けられなくなり、少年チャンピオン誌“伝説の編集長”壁村耐三が「手塚の死に水を取る」と言ってページを用意して「ブラック・ジャック」の掲載が始まった時点で、もう手塚の復活は約束されていたと言っていいのだろう。 ●全集を買わなければ「サンダーマスク」は読まなかった そしてこれだけの内容が、打ち切りによる早足のストーリー進行とはいえ、単行本1冊に収まっているというのに驚く。考えてみれば私が子どもだった半世紀前、漫画とは長くても数巻にまとまるものだった。 現在の、人気漫画作品が数十巻、場合によっては百巻以上にもなるという現象は、人気作品の刊行を長期間維持して売り上げを確保する、という出版社の都合に基づく。が、それは「物語を語る」という面では、むしろ悪手であろう。社会に流布する物語を豊かにするには、「長く語る」よりも「よりいろいろな物語をたくさん語る」べきではなかろうか、と、作家でもない自分が力説してもあまり説得力はないけれど。 私が300冊の「手塚治虫漫画全集」に発見したのは、多数の「自分向けではない物語」だった。しかし、その300冊を読まなければ、私は「サンダーマスク」に出会うことはなかっただろう。 「サンダーマスク」だけではなかった。手塚治虫漫画全集の300冊を読むことで、自分はいくつかの「自分の手塚治虫先生」を見つけた。それは「0マン」であったり「W3(ワンダー3)」だったり「ノーマン」であったり……自分にとっての手塚治虫とはSF色の強い少年マンガであるようだった。 全集といえば、自分は大学時代に図書館を使って宮澤賢治以下いくつかの全集を読破している。 宮澤賢治の場合、生前は詩集「春と修羅」と、児童文学短編集「注文の多い料理店」の2冊のみが出版された。共にほぼ自費出版だった。決定稿として彼が世に問うたのは、この2冊に掲載された作品のみといってもよい。有名な「銀河鉄道の夜」を含むあらかたの作品は、未発表の、まだ手が入った可能性のある未定稿としてこの世に残された。