手塚治虫の知られざる傑作「サンダーマスク」
このテレビ版「サンダーマスク」、当時小学5年生だった自分も見ていたのだが、自分の感想はといえば「つまらない」というものだった。なぜつまらなかったかというと、魔王デカンダが何をどう見てもただのトカゲにしか見えなかったのである。一言で言うと「格好悪かった」のだった。とはいえ、放送当時の視聴率は悪くなかったそうだ。喜んで見ていた子どももまた多かったのである。 手塚版の「サンダーマスク」は、この特撮テレビ番組のコミカライズとして描かれたもの。放映と同時期、1973年10月から翌年1月にかけて少年サンデー誌で連載している。テレビ番組のコミカライズというのは手塚作品としては異例である。 「サンダーマスク」を執筆していた時期、手塚は虫プロダクションの経営に苦しんでいる。1971年には虫プロ経営から身を引くも、73年8月には虫プロおよび出版部門の虫プロ商事が倒産。編集者たちが「手塚もおしまいだな」と噂し合ったという。が、倒産とほぼ同じタイミングで少年チャンピオン誌で「ブラック・ジャック」が始まり、彼は劇的な復活を遂げることになる。 「サンダーマスク」について、手塚本人は漫画全集版のあとがきで、わずか4行しか書いていない。 この作品はもっと長くなるはずだったのですが、出版社の都合で、連載が途中で終わったものです。 テレビでも「サンダーマスク」は放映されましたが、テレビの企画のほうが先で、雑誌はそれにしたがってかいたものです。僕の作品としてはめずらしいケースです。 (手塚治虫漫画全集「サンダーマスク」あとがき) 「サンダーマスク」には様々な、語りたくもない鬱積した思いがあったのだろうと推察する。 ●映画「タイタニック」を想起させる一大メロドラマ が、私にとって「サンダーマスク」は、まごうことなき傑作である。確かにラストは打ち切り作品らしく早足なのだが、それを補って余りあるオリジナリティーが込められている。変身ヒーローのサンダーマスクと魔王デカンダの対立というテレビ版の構造は、完全に換骨奪胎され、かなりハードなSF作品となっている。それどころか、映画「タイタニック」を思わせるメロドラマでもあるのだ。 物語の語り手は、手塚治虫本人。この時期の手塚作品には「バンパイヤ」に代表されるように手塚本人が時折登場している。手塚が命光一という若者と知り合うところから話はスタートする。 光一は、サンダーというガス状の宇宙生物に自分の体を貸していた。サンダーが憑依(ひょうい)することで光一は巨大で破壊的な生物に変身する。サンダーには知性があり、コミュニケーションを取ることができた。そこから、サンダーは、デカンダー(手塚版の敵役には音引き「ー」が付く)という別のガス状生命体と長期間にわたって宇宙で闘争を続けてきたことが分かる。デカンダーも地球に飛来し、サンダー同様に地球生命に憑依していた。が、デカンダーはサンダーよりも地球生命との“なじみ”が悪く、長時間憑依できないようである。 やがてデカンダーも地球生命への憑依方法を進歩させて、人間に憑依するようになる。憑依の対象となったのは、若い女性。