手塚治虫の知られざる傑作「サンダーマスク」
某SNSで「これまでに作曲されたすべての交響曲を聞く」と宣言している方と邂逅(かいこう)したこともある。交響曲という音楽のジャンルは、オーケストラの演奏会向け組曲の中から発達し、18世紀に一応の形式が確立した。それから3世紀ちょいでいったいどれほどの数の交響曲が作曲されたのか――。以前読んだ「レコード芸術」誌(悲しいかな、昨年休刊してしまった)で、18世紀に4000曲弱の交響曲が作曲されたと読んだ記憶がある。ネットを漁ると「約2万曲」としているところもある。あくまで仮置きとして4000曲とすると、どうなるだろうか。 交響曲が生まれるペースが同じとしても、3世紀で1万2000曲。1曲平均30分とすると、全部で36万分。6000時間であり、250日だ。 これなら全部聞けそうな気もするが、昼夜分かたず250日ということは、1日8時間聴くとして750日。現実的に可能なところとして1日1時間聞いて6000日、16年5カ月だ。気に入った曲は何回か聴くであろうし、「交響曲を全部聞こう」などと考える人が別途協奏曲や室内楽やオペラを聞かないということも考えにくいから、これもまた一人の人間の人生に入りきるかどうかぎりぎりの営為である。 一方、このように考えてくると、創作は、創るための時間よりも鑑賞する時間のほうがはるかに短いことが分かる。いや、創作に限らない。農業、工業、サービス業、情報産業――人間の営為はすべて、「創る速度より消費する速度のほうが速い」という性質を持っている。どうも、この速度の違いこそが経済という仕組みを成立させているようではないか。 生成AI(人工知能)が、真の創造性を獲得したら、人類史上初めてこの速度の差が逆転することになるだろう。とすると、そこで我々は経済というシステムそのものを根本から考え直さねばならないということになる。 果たして生成AIがそこまで進歩するかどうか――それは分からないが、そうなったらどうなるかという思考実験は行うことができる。 ●演奏に1万年かかる交響曲 SF作家中井紀夫の短編「山の上の交響楽」(1987年)は、まさにそのような「消費するより創るほうが速い」状況を描いている。 かつて天才的な作曲家が一生をかけて巨大な「宇宙がはじまって終わるまでに1回しか演奏されない」交響曲を作曲した。すべてを演奏するのに数千年、もしかしたら1万年かかる。演奏は200年前に始まり、8つのオーケストラが交代で演奏し続け、途切れることなく続いている。バックヤードでは事務方が総譜からパート譜を書き起こす作業を必死で続けている。そしてもうすぐ、800人ものオーケストラが超絶技巧を駆使して演奏しなくてはならない難所「八百人楽章」の演奏が迫っていた――。 ひたすら出番を待ちながら老いたトライアングル奏者がいる、まれにしか使われない特殊楽器を製作する職人がいる。物語では八百人楽章のパート譜作成が遅れ、ついに楽団員全員がパート譜作成に駆り出される。巨大な交響曲の演奏は多くの人々の人生そのものと化していく。 手塚治虫にも「ドオベルマン」(1970年)という、尋常ならざる速度で絵を描く画家が登場する短編がある。「サンダーマスク」同様に手塚本人が語り手だ。 手塚はある日、コニー・ドオベルマンという外国人の貧乏画家と知り合う。彼は奇妙な絵をものすごい速度で大量に描いていた。手塚は、その奇妙でデタラメな絵画にある規則性があることに気が付く。 ラストで手塚は夜空を見上げ、まさに世界が今までとは全く変わる瞬間に立ち会うことになる。手塚治虫漫画全集の『SFファンシーフリー』に収録されているので、気になる方はどうぞ。
松浦 晋也