新しい戦前・新しい中世・新しい江戸 時代のポイントを鋭くついたタモリ発言 歴史は繰り返すのか
歴史には相似の状況が現れる
こういった「新しい戦前」「新しい中世」「新しい江戸」といった表現には、歴史が逆行しているような印象がある。 近代社会は科学技術の発展が著しいので歴史は常に進歩すると考えられがちだが、実際には、特に社会状況というものは、振り子のように左右に揺れながら、あるいは波のように上下しながら、あるいは螺旋状にまわりながら進むのであって、必ずしも直線的に進歩するというわけでない。厳密にいえば過去と現在は条件が異なり、歴史が繰り返すということはない。しかし部分的、短期的には、過去と相似の社会状況が現れるものだ。 そこに「新しい何々」という表現の含蓄がある。そしてそういう言葉が現れるだけ、閉塞感の強い時代だということだろう。 近代文明と近代社会を批判的に見れば「新しい中世」も「新しい江戸」も、必ずしも否定的な意味ではない。しかし「新しい戦前」は、戦争につながるのであるから否定的な意味が強いのだ。 今われわれにできることは、CO2による地球温暖化など近代工業文明の弊害を直視して、「新しい中世」や「新しい江戸」に、人間として生きていく上でそれなりのメリットと幸福があることを認識し、近代一辺倒の価値観の転換を図ることだ。 また一方で、否応なくグローバル化が進む時代の日本人として、社会の内向化は認めつつも、海外に向かって挑戦する精神的なエネルギーを維持することだ。 そして「新しい戦前」が「本当の戦前」にならないようにコントロールすることだ。 昨年末に公開した記事(「防衛費増に走る日本政府が本来重視すべきは? 『コミュニケーション問題』としてのウクライナ戦争」)で書いたように、内部のコミュニケーションを成熟させ、他国とのコミュニケーションを深めることだ。防衛費急増の中でも、国際的軍縮(特に核兵器に関する)への姿勢を示すことだ。 それにしても、一人のお笑いタレント(とされる人物)の一言は、凡百のもっともらしい論説家より、鋭く、時代のポイントをついていた。