“マルハラ論争”あなたはどう思う?―俵万智「感覚の違いが可視化されるのは良いこと」
“マルハラ” の背景にあるのは、コミュニケーションツールに対する世代的な感覚のズレ
――最近、SNSが火付け役となって、“マルハラ” が話題になりました。「目上の人からのLINEの文末に、『。』という風に句点を付けられると威圧的に感じる」という若い世代からの意見について、俵さんはどう思われましたか。 俵万智: ハラスメントっていうのはちょっと大げさじゃないかなと思いましたね。実際に多くの人の反応も「そんなことでハラスメントっていう?」という感じでしたし。 ただ、言葉を使う世代や属性によって、特定のツールにおける文章の感じ方にズレがあるんだということに気づかされました。LINEというコミュニケーションツールに対する感覚が、世代間でちょっとずれているということです。我々の世代は、画面には文字が表示されているわけだから、LINEも書き言葉だと思っている。そこで『。』を文末に付けないなんてありえないと感じるのですが、若い人にとってLINEは話し言葉の延長だから『。』は必要ないんでしょうね。 我々の世代は、まとまった文章として2~3文になったら、絶対に句点を付けないと、どこで文章が終わっているか分からないわけです。句点をつけないということは、すなわち1文以内ということですよね。一方で若者はLINEなんて、ひと言で返せばいいと思っている傾向もある。LINEに句点が何個もついた長文が送られてきたら、ジーンズでくつろいでいるところに課長がネクタイを締めてきたような感じで、ラフな雰囲気を叱責されているように感じるのかもしれません。 でもXやLINEを通じて個々の感覚の違いが可視化されるのは、良いことなのではないでしょうか。その違いが分かれば、年配の人が文末に『。』をつけていても、別に脅しにかかってるわけじゃないし、若い人が句点をつけていないのも、失礼なことを考えているわけではないということが分かります。このことが話題になることによって、お互いの溝が少しでも埋まれば良いわけです。 ――“マルハラ” について世間が注目していた頃、俵さんが詠んだ短歌も話題になりました。 俵万智: 「優しさにひとつ気がつく×でなく○で必ず終わる日本語」 の歌ですね。 この歌は実は“マルハラ” について詠んだわけじゃなんです。“マルハラ” が話題になったタイミングで、たまたま最近歌集に収めていた短歌で、句点について触れた作品があったんですよね。日本の句点は文の最後に〇を付けることを考えると、「なんだか優しくていいな」と思って、作った歌です。「こんな歌を作ったよ」という、軽い気持ちでXに投稿したんですよね。 そうしたら、予想を超える反響がありました。SNSのすごい力で、瞬く間に広がり、新聞のコラムでも取り上げられるほどの話題になったんです。「これからはもう句点を使わないようにしようと思っていたけれど、やっぱり〇って素敵だね」という感想が多かったですね。“マルハラ” という言葉をハラスメントという殺伐とした空気の中で話し合うよりも、「こういう観点もあるよね」という感じで受け入れてもらえてよかったなと思いました。