追うのは日英同盟時代の「栄光」か? イギリスが東アジアの緊張に足を踏み込む理由
文化の違い論
ここで考えてみたいのは欧米諸国が中国に対してもっているであろう文化的違和感である。 一昔前は、西側の消費経済の魅力がソビエトを(一応)民主化させたように、経済発展が中国の共産党支配を軟化させ、それなりに民主化させ、西欧化(国際標準化)させるであろうという予測が大勢を占めていた。しかしその予測は外れたのだ。中国は西欧文明とは異なる文明を基本とする国であり、むしろ対立する価値観をもつという見方に変わっている。 かつて日本の経済力が強かったときにも、アメリカは、日本文化は西欧文明とは異なる、という論理によって圧力をかけた。むろん日本は東洋の一角であり、欧米諸国と文化文明の来歴を同じくするわけではない。しかし日本は、中国のように文明の中心を自負する国ではなく、むしろ海外の普遍的な文明に同調する国であり、そこに大きな違いがある。前に書いたように、中国では「東洋=中国」であり、アメリカとの対立は「西洋 vs 東洋」の様相を呈するのだ。 また欧米の対中国感情には、今度の新型コロナウイルスに対しての責任論も潜んでいるだろう。そしてそれが東アジア系一般に対するヘイトクライムの背景にもなっている。新たな「黄禍論」(19世紀末ごろからヨーロッパで唱えられた黄色人種脅威論)が現れる可能性もあるのだ。 そう考えれば、日本の立場は微妙である。
海洋型の国と「航行の自由」
文化の違いとして最後に、内陸の覇権に対する海洋の覇権という考え方に言及したい。僕は以前、世界には「内陸型」の国と「海洋型」の国があり、内陸型の国は「統制的」(専制政治、計画経済)になりやすく、海洋型の国は「交換的」(民主政治、市場経済)になりやすいと述べた。 内陸型の国である中国が海洋に進出して統制の論理を押し出そうとするとき、海洋型の国々すなわち日米豪および西欧(中でも英国)は、連携してこれを阻止し、交換の論理を守ろうとする。歴史をかえりみても、海洋の覇権が内陸に入ろうとするとき、ロシアや中国などは強い抵抗を示した。逆に内陸の覇権が海洋に出ようとするときイギリスや日本などは強い抵抗を示した。日本は地理的には東洋の一部であるが、海洋型の国であることはまちがいないのだ。「航行の自由」という言葉は、海洋型の国家にとって、単なる作戦標語を超える歴史的な価値観を秘めているように思える。 西欧とイスラムの対立は、中世以来の地中海的対立であるが、アメリカに同調する国家群と中国との対立は、単に東アジアにとどまらず、西洋と東洋、あるいは海と陸の、世界規模の文化対立となる可能性がある。 クイーン・エリザベス空母打撃群の東に向かう航行は、EUを離脱した孤独なイギリスが、かつての大英帝国と日英同盟時代の栄光を追っているようにも見える。逆に中国では、アヘン戦争の悪夢がよみがえっているかもしれない。