追うのは日英同盟時代の「栄光」か? イギリスが東アジアの緊張に足を踏み込む理由
歴史的パワーバランス論
よくいわれる国際パワーバランスの論理である。米ソ冷戦当時の西ヨーロッパでは、ソビエトを中心とするワルシャワ条約機構に対して、アメリカを要とする北大西洋条約機構(NATO)がひとつにまとまっていた。国際関係の現状に異議をとなえこれを打破しようとする勢力に対して、いわゆるステータス・クオ・パワー(現状維持勢力)が連携して軍事力の均衡を保ち安定を確保しようとする、ヨーロッパには昔からある論理である。 現状打破勢力とは、冷戦時代にはソビエトであり、二つの世界大戦時代にはドイツであり、もう少し前にはフランス(ナポレオン)であり、現在はそれが中国という構図だ。 とはいえわれわれ日本人の印象では、ヨーロッパと東アジアは、地球の反対側である。ロシアのウクライナに対する攻勢や、ベラルーシの独裁や、イスラム原理主義によるテロや難民問題などを抱えることを考えれば、ヨーロッパ諸国は足元を心配しなくていいのかと心配になる。しかし逆にそういった問題があるからこそ、ヨーロッパ諸国はアメリカとその同盟国との関係を重視して、長期的に世界戦略を考えているということかもしれない。グローバル化した現代では「ヨーロッパと東アジアは遠くない」ということだろうか。
社会体制の違い論・経済安全保障論
中国に対峙する国に共通する思想あるいは社会体制として、個人の自由、民主主義、法の支配、市場経済といったことがいわれる。かつての冷戦は、社会主義 vs 資本(自由)主義という対立であり、お互いに進歩的な理想としてのイデオロギーを掲げていた。しかし今の中国をめぐる対立は、統制 vs 自由、権威 vs 民主といった構図で、アメリカの独立やフランス革命以来、西ヨーロッパ諸国が掲げてきた進歩主義が、その進歩主義を否定する論理を封じ込めようとするかたちである。「ヨーロッパは進歩、アジアは停滞」としたヘーゲル的な歴史観がまだ生きているようにさえ感じる。 特に、新疆ウイグル自治区における弾圧は「ジェノサイド(集団虐殺)」とされ、ヨーロッパの人々にとっては、第二次世界大戦中にドイツが演じた悪夢を連想させるのかもしれない。このことに関してヨーロッパは、日本以上に批判的である。 そして、経済安全保障ともいわれる情報通信技術をめぐる覇権争いの問題がある。中国のファーウェイによる5G(第5世代移動通信システム)のスタンダードが世界に広がることに対するアメリカの警戒、高性能半導体のサプライを確保するためのTSMC(台湾)のアメリカや日本への誘致など、最先端の情報通信技術とそのスタンダードをめぐる覇権争いは熾烈の度合いを増している。 かつての、欧米の工業技術に対する日本技術の挑戦は欧米のスタンダードにのっとっての性能上の挑戦であったが、今の中国の挑戦は欧米のスタンダードを中国のスタンダードに変えようとする挑戦であるようだ。長きにわたって、自らの論理で国際的なルールをつくってきた西欧文明諸国はそれを当然のように考え、そのルールを変えようとする勢力には敏感な反応を示す。 EUは、新疆ウイグル自治区の人権問題をめぐって、中国との間に結んだ投資協定の承認手続きを凍結したが、これは日本で報じられている以上に大きな問題であるようだ。続く菅総理とのテレビ会議による日本との共同声明でも中国に対する批判を鮮明にしている。ヨーロッパは政治的にも経済的にも親中国から反中国へと舵を切ったということであろうか。 その点で中国と太い経済パイプをもつことから、いわゆるデカップリングにとまどいを見せる日本 (上の段落で日本国の総理大臣として菅がEUに同調した旨が書かれていることと、デカップリングに戸惑いを見せるという記述は整合性が取れていないのでは?)や韓国より、一歩踏み込んだ印象を受けるが、ヨーロッパ諸国が簡単に自国の利益を手放すとも思えない。アメリカもEUも中国との貿易額は減っていないのである。今のところ、政治と経済(機微なハイテク技術を除く)は別、というのがアメリカ側中国側両陣営の暗黙の合意であるようだ。いずれにしろ、今回の中国をめぐる緊張は、軍事と経済と技術が複雑に絡んだものとなっている。