「武蔵高校から2浪で東北大」浪人を後悔した彼がかなえた夢。高校生活は充実していたが成績は低迷
「当時の北海道大学は、東大と同じように最初の2年が文1系、文2系、文3系と分かれていて、受験科目も課程ごとに違いました。私は3年生になったら主に経済学部に進む文2系(受験科目:英語・数学・国語)と、主に法学部に進む文3系(受験科目:英語・小論文)のどちらかを受験しようと迷っていたのですが、この時期は数学ができるようになっていたので、試験で出題される大問4問をすべて解ければいけると思い、文2系を受験しました」
文2系は経済学部が主な進路であるものの、成績が優秀な5名程度は法学部に進学できるということもあり、大逆転合格をかけて出願した宗前さん。 しかし、本番の数学で完答できたのはまさかのゼロ問。併願で受けた慶応義塾大学の法学部政治学科と中央大学の法学部法律学科も落ちていたため、1浪目の全落ちが確定してしまいました。 「今考えればわかるのですが、勉強量も十分じゃなかったですし、自分なりの勉強の仕方も確立してないので落ちて当然だったと思います」
武蔵高校では周りがみな大学に行く学校であったことから、宗前さんも2浪を決意しますが、しばらくは多浪することを受け入れられなかったそうです。 「1浪すればなんとかなるんじゃないかと思っていたのですが、この先大学に行ける保証はないんだなと思い、怖くなりましたね。父親は『なんでちゃんとやらねえんだ!』と激怒して、10万円だけ渡されて、これで(この年の受験は)なんとかしろと言われたのは覚えています」 幸い、後から意外と同級生も2浪していたことが判明し、少しホッとした宗前さん。2浪している小学校の同級生が、下宿しながら熱心に勉強しているのを知ったこともあり、この年は所沢の実家を離れます。
■深夜バイトをしながら浪人生活を過ごす 豊島園の家賃1万6000円の物件で下宿しながら、渡された10万円で代々木ゼミナールの単科コースを5クラス受講しつつ、後期から予備校の正規コースに通うために、春先~秋の初めまでは深夜バイトをしてお金を貯めました。 「2浪目の生活の前半はほぼ宅浪みたいなものです。生活費を3万円でやりくりしながら、夜9時から朝6時まで、金曜日と日曜日にファミレスで深夜帯のバイトをしながら生活していました。休み明けの月曜日は根性で、徹夜で勉強していましたね。秋口になったらお金が貯まったので、バイトを辞めて、選抜試験を受けて代ゼミの東大文科コースに入りました」