「武蔵高校から2浪で東北大」浪人を後悔した彼がかなえた夢。高校生活は充実していたが成績は低迷
■東北大を受験したものの… 「高校の先生はすごくいい授業をしてくださっていたのですが、集中力がもたなくて部分的にしか頭に入ってきませんでした。そういう生活をしているうちに、高校3年生になって、もう今年は東大や旧帝大には間に合わないと思うようになりました」 当時の共通1次試験は5教科7科目で1000点満点。東大が900点、東北大学でも830点前後がボーダーのところ、630程度しか取れなかった宗前さんの現役時の受験は、ダメもとで東北大法学部を受け、不合格に終わってしまいました。
「なんだかんだで共通1次も7割くらいは取れるんじゃないかと思ったら、想像以上にできなくて驚きました。得意科目の政治経済・現国はノーミスだったのですが、それ以外は壊滅的だったのは覚えています。だからもう東北大学は、来年以降の受験に備えて『どんな感じか見てこよう』という気持ちで受けた受験でした」 私立大学の併願もせずに、現役の受験を終えて浪人を決断した宗前さん。浪人を決断した理由を聞いたところ、「東大が当たり前の学校だから、落ちても浪人するのが普通だった」と答えてくれました。
こうして宗前さんは駿台予備学校お茶の水校3号館に通うことを決め、勝負の浪人生活をスタートさせました。 この年は、法学部のカリキュラムで必修科目がなく、「気まぐれで好きなことしかやらない自分に向いている」と思い、京都大学を第1志望に設定します。 宗前さんは、駿台の授業で学問の本質的な理解を深めたこともあり、充実した浪人生活を送りました。 「駿台の英語を教える力はすごかったです。基礎から始まり、英文には文章構造があって、構文を理解しないとダメだと教えてもらいました。単語力だけで突破しようとしていた自分からすれば目から鱗でしたね。このおかげで、英語力が一段と上がりました」
この当時の宗前さんは、所沢から御茶ノ水まで通い、9時から授業が始まって15時まで受けた後、自習室が常に満席だったため家に戻って勉強する日々を送っていました。苦手だった数学は、代々木ゼミナールの単科コースを取ったことも奏功し、「ある時期までは成績が順調に伸びている感覚があった」そうです。 ■北海道大学への出願を決意 模試で京大のC判定も取れた1浪目。しかし、この年も共通1次試験の数学で失敗し、670点に終わりました。2次試験では望みが薄かった北海道大学の文2系に出願します。