「武蔵高校から2浪で東北大」浪人を後悔した彼がかなえた夢。高校生活は充実していたが成績は低迷
「私は見栄っ張りなので、旧帝大に行かないといけないと思い、頑張っていました。でも、琉球大学で教えたときに学生の勉強する意欲に圧倒されたのです。そこから本土の早慶や神戸大の大学院に進んだ優秀な子たちを見ていると、現役で身の丈にあった大学に進んで研究者になるルートもあったと思いますね。 浪人はしないで済むならしないほうがいいと思います。ただ、私に関して言えば、何事にも時間がかかる人間なのだとわかるようになりましたし、もう一踏ん張りしてみようと思えるようにもなりました。2浪して東北大に行けたから、面白い出会いがあり、道が広がったのだと思います」
東北大学に入学した当初、宗前さんは、与野党伯仲で選挙運動が激しい時代に少年期を過ごして政治に関心を持ったこともあり、新聞社に入るか、官僚になるか悩んだと言います。 その過程で、もっと自分を追い込む環境に身を置いて成長したいと思ったところ、1987年の入試で史上初めて東大と京大の併願が可能になったことから、2年生進級のタイミングで1年間東北大学を休学し、仮面浪人を決意しました。 東京に戻って2浪のときに働いていたファミレスで契約社員になり、働きながら再受験をしたものの、不合格に終わってしまいます。東北大に復学してからは自分の適性をより深く理解し、政治分野を専門とする大学教授になることを決意しました。
「私は人生の節目ではちゃめちゃな決断をしてしまう人間なんです。でも、この失敗で政治の内側に入るのではなく、分析をするのがいちばん向いているんだと気づくことができました。 2年の遅れまでなら一般的な企業に就職できると言われていたバブルの時代でも、2浪1留で『プラス3』になってしまうので厳しいと思い、研究者の道に進む決意を固めました」 ■恩師との運命の出会い この3年の遅れが、自身のその後の研究者としてのキャリアを切り開いてくれたそうです。そのきっかけが、現代政治学の権威、大嶽(おおたけ)秀夫先生との偶然の出会いでした。