映画「ジョン・ガリアーノ 世界一愚かな天才デザイナー」 3人のゲストによる座談会
「天才の危さ」と「イノセンスな魅力」は表裏一体
F:本作のタイトルに「世界一愚かな天才デザイナー」とあります。彼の愚かさとは結局、何だったんでしょうか。 ドリアン:私は「天才の危さ」と「イノセンスな魅力」は表裏一体だと思っていて。「天才」という言葉の危うさや、その無責任さを痛感できる作品だな、と思いました。「あなたにとって天才とは何か」を咀嚼したり、考え直せる作品でもあると思います。 シトウ:私、ガリアーノがイノセントな理由は単純にバカなんだと思う。バカというのはピュアということ。 一同:(笑) シトウ:「(ガリアーノは)考えが浅い」と言っていた人がいたじゃないですか。だから、ニューヨークでもジューイッシュの格好をしてまた炎上して(※2013年、ハシディズム風の服装をしたガリアーノの姿が新聞で報じられ、再びユダヤ人コミュニティを怒らせる結果となった)。きっとユダヤの勉強をしていて「この格好、かっこいいなー。やってみよう」みたいなノリだったんでしょう、子供みたいに。 都築:あれは見ていてうれしくなりました。こんなレベルの天才でもいっぱい知らないことがあるんだな、って。普通は「お前、そんなことも知らねえの?」と言われたくないからしないじゃないですか。ガリアーノは踏み込んだ上に、間違ったことをしちゃうという(笑)。 シトウ:でも、だから天才なんでしょうね。 ドリアン:そうですよ。無垢で無知で純粋。原題が「High & Low - John Galliano」なのもニクいなと思って。「ディオール」のハイ&ローもそう、作風としてのハイ&ローもそうだし、たぶんガリアーノの人生のハイ&ローもダブルミーニングにしていると思います。
我々はファッション業界のサイクルを変えられるか
F:当時ガリアーノはクリスチャン・ディオールと自身の名を冠したブランドの両方を手掛けていて、年に32回もコレクションを発表していました。そんな中で「ゆっくり死に向かっていた」と本人は語っていましたね。 シトウ:1ヶ月に3回以上でしょう? とてつもない。当時、オンラインミーティングもないですもんね。 ドリアン:今のディオールはメンズとレディースでデザイナーが分かれていますけど、あの頃はガリアーノが全部やっていたんですね......!それにしては、むしろまともなほうだったわよ!(笑)。 F:デザイナーのメンタルヘルスの問題も大事ですよね。 ドリアン:ある意味、ファッション業界がガリアーノを食い尽くして捨てたぐらいの感じだと思うんですけれども、でもファッション業界をあそこまで巨大なスペクタクルにしたのもガリアーノ。その主従のバランスが難しいなと思います。 シトウ:コロナ禍のロックダウン中に「一度立ち止まろう」という流れがありました。「年8回もコレクションを作らなきゃいけないのはさすがにおかしかろう。メンズとレディースを一緒にして少なくしよう」みたいな動きが、デザイナーたちの間で起こったんですよ。でも結局、パンデミックが明けてその話はなくなっちゃった。 ドリアン:あんな疫病でも変わらなかった価値観が変わるのは、なかなかのことがないと。 シトウ:ただ、やっぱりファッション業界は一度立ち止まって考えなきゃいけない時期ではあるとは私は思う。そうじゃないとこんなに才能がある人も擦り切れるし。「それは人間としてどうなのか?」となっちゃうから。 ドリアン:「LVMH(※ディオールを傘下に置く世界最大規模のラグジュアリーコングロマリット)」と「ケリング(※ライバル関係にある企業)」が「1回ちょっと合併しまーす。もう競争しないのでそれぞれベースでやっていきましょう」ぐらい言ってくれないと、無理ですよね。 都築:雇われているデザイナーは「やれ」と言われたら絶対やるしかないですもんね、結局は。 シトウ:ファッション業界はヒエラルキーがしっかりしているので、トップが変わらないと変わらないんだろうな。「プレコレクションをやめよう」「クチュールを年1回にしよう」みたいな流れになったら、いずれサイクルが変わるかもしれないですね。