生後2ヶ月の息子に違和感…その後、大学病院で判明した命に関わる病とは。母の思いに迫る
色素性乾皮症A群という難病を知っていますか? この病気は、日に当たると異常に激しい日焼けの反応が生じるため、日中は外に出るのが難しいです。やがて身体の機能低下が始まり、歩行困難や言語消失、そして長くは生きられないとまで言われています。現在治療法がないこの病気を患っている海陽くんのご家族は「難病が難病ではなくなる世界を目指しています!」とSNSで発信しています。 【実際の写真8枚】病気が判明するまでの流れと現在の様子 今回は海陽くんのお母さんに、海陽くんの日常生活やサポート、治療法がない中どのように向き合っているのかなどを聞いてみました。
生後6ヶ月で色素性乾皮症と診断
2021年1月25日と26日、海陽くんが生後2ヶ月のとき、両親と姉、兄の5人家族で旅行に行きました。季節は真冬だったため、海陽くんは生後2ヶ月ということもあり、全身包まって抱っこ紐で抱っこされている状態でした。 次の日の1月27日昼ごろに「なんだか赤く腫れてきている…」と異変に気づいたため、その次の日にかかりつけ医を受診。しかしひどく膿むこともなく、見た目は日焼けで診断も日焼けということでした。そこで様子を見ながら生活をしていたところ、10日くらいで元通りになったといいます。 しかし、2月11日の祝日のこと。この日は晴れてポカポカ日和でお散歩には最適でした。お母さんは子どもたちとお散歩をしながら近所の公園に行き、3時間ほど外出します。 帰宅後はなにもありませんでした。しかし、その次の日2月12日の夜、海陽くんの顔は赤く腫れあがっており、日焼けとはいえない状態。そこで2月13日の朝一番でかかりつけ医に駆け込みます。そして「普通の日焼けじゃないから…」と紹介状を書いてもらい、大学病院に予約をとることに。 2月13、14、15日のこの3日間が日焼けのピークで一番ひどいときでした。海陽くんは皮膚が剥けてぐじゅぐじゅに膿み、体液も出ており、中の赤い皮膚が見えている状態。 「とても痛かったと思います…」とお母さんは振り返ります。 「このときは本当に辛い状況でした」と、まだ生後3ヶ月の海陽くんは、寝るときと授乳以外は痛くてずっと泣き続けていました。 大学病院への受診には時間があったため、お父さんもお母さんもインターネットで検索ばかりしていたといいます。 「あらゆる論文を片っ端から読みあさり、寝不足なんて言葉は通り越して、夫婦共に倒れる寸前だったと思います」と。どうやっても検索でたどり着くのは「色素性乾皮症」という言葉でした。 どうにかしてなんとか違う方向に持っていきたくて、いろいろな方面から検索をかけても「色素性乾皮症」という言葉にたどり着く日々。お母さんは「この3日間で人生の涙をすべて使い果たしたと思います」と語ります。しかし、当時お姉ちゃんは5歳、お兄ちゃんは3歳。まだまだ幼い子どもたちがいたため、なんとか生活だけは送っていたといいます。 2021年3月15日大学病院を受診、そして2021年4月15日に別の病衣で受診し検査。2021年5月27日に海陽くんは生後6ヶ月で「色素性乾皮症」と診断を受けました。 2024年11月に4歳になった海陽くん。現在、太陽にあたることができないこと以外に発達が遅れているといいます。同じ4歳の子たちと同じようにお話ができないため、療育やOT、STに通い、発達事業所が運営をする幼稚園に通っています。現在、両親が本当に悩んでいることは2年後の小学校のことでした。 小学校に紫外線カットフィルムを貼ってもらわなければならず、その費用もあるため、少なくとも2年前から相談してくださいと聞いていたのです。しかし今年の夏ごろ、市役所に問い合わせをしたところ「小学校を決定するのは、小学校に入学する数ヶ月前の就学前検診なので、それまでは回答できません」ということでした。 「聞いていた話と噛み合わなくて、今どうしようかと悩んでいます…」とお母さんは語ります。 ※OT(Occupational Therapist)…作業療法士。医師の指示のもと、絵画制作や園芸、手芸、工作、遊びなどを通して、日常生活動作の改善や手先の訓練、治療を行います。 ※ST(Speech Language Hearing Therapist)…言語聴覚士。コミュニケーションや摂食・嚥下(えんげ)機能に障害のある人を対象にリハビリテーションを行います。