《深圳児童殺害事件の背景》中国版“無敵の人”の無差別犯罪「献忠」続発の深い闇
多重債務者を追い詰める「デジタル市中引き回し」
もともと、中国の社会は前近代から現在まで、日本よりも圧倒的に「強者の論理」で支配されてきた。すなわち、一部のエスタブリッシュメントが権力・人脈・カネ・学歴・恋愛・結婚・就職・住宅・健康・情報・法的優遇・社会的発言権などの一切を総取りする仕組みである。 弱者に対する世間の関心も制度的な保障も、中国では伝統的に脆弱だ。そうした社会で生きることが困難な庶民は、濃厚な親族関係や地縁、場合によっては秘密結社や宗教団体などを通じた相互扶助の仕組みに頼って、長年にわたり生きながらえてきた。ただ、現代の中国では社会構造や価値観の変化にともない、血縁や地縁の保護機能が弱まっている。近年の習近平政権下では、宗教コミュニティやNGOなども弱体化した。 中国の庶民がそれでも大きな不安を覚えなかったのは、中国の景気がよく、生活水準や暮らしの利便性が目に見えて向上してきたからだ。だが、ゼロコロナ政策とその後の経済停滞で、従来の危ういバランスは動揺している。 しかも中国の場合、近年のデジタル管理のなかで失信被執行人(失信人)制度というものができた。これは、債務不履行や公共料金の未納などの不誠実行為の当事者に対する懲罰処置だ。失信人は航空機や高速鉄道に乗れない、三つ星クラス以上のホテルに泊まれない、中国からの出国制限などが課され、その名前と身分証番号がネットで公開される。 場合によっては、地下鉄駅のホームのテレビモニターなどに、顔写真付きで実名・住所・身分証番号が晒され「ダメ人間」として周知される目に遭う。中国は21世紀初頭まで、公開処刑や犯罪者の市中引き回しがおこなわれていた国であり、そうしたカルチャーが現在でも存在するのだ。
コロナ禍と「詰む人」の増加
気の毒なのは、近年のコロナ禍の影響で経済危機に陥り、債務の不履行を余儀なくされた人たちだ(詳しくはジャーナリストの高口康太氏が『東亜』8月号に寄稿した記事を参照)。失信人は、本人に反省の意思がない、所在が確認できないなどの悪質性がなければ即・処罰とはならないともいうが、当局のミスや本人の悪意なき過失で認定されることはあり得る。 航空機や高速鉄道での遠距離移動ができず、ネットに「ダメ人間」としてのデータが残った状態で、事業や生活の立て直しは不可能に近い(なお、中国に自己破産制度はない)。だが、たとえ困窮しても公的福祉は貧弱だ。往年であれば、人生に失敗しても他の省に逃げてしまえばなんとかなったが、現代はデジタル監視によって中国国内のどこに行っても逃げられない。 深圳事件の容疑者が失信人かは不明ながら、事業に失敗して債務を抱えていたことが日本側の報道で明らかになっており、似た状態だったとみていいだろう。ただでさえ巨大な格差が存在するうえ、失敗するとリカバリーが効かない社会だからこそ、「献忠」がしばしば選択される。 「献忠」犯人の襲撃対象に子どもや外国人が選ばれやすいのは、警戒心が薄く狙いやすいからだ。特に子どもの場合、「強者の論理」が貫徹された中国社会の弱者である自分より、さらに小さくて弱いので狙う……。ということだろうか。