《深圳児童殺害事件の背景》中国版“無敵の人”の無差別犯罪「献忠」続発の深い闇
大量に発生する無差別事件
念のために書いておけば、2001年の附属池田小事件、2008年の秋葉原無差別殺傷事件、2019年の登戸通り魔事件など、日本でも似たような事件はある。中国の人口は日本の10倍以上なので、単純な母数の問題として「危険人物」の数や被害人数は多くなる。ただ、今年はうんざりするほど多いのは確かである。 習近平体制下の中国当局は、報道の「正能量」(≒明るく正しい内容)を重視し、社会不安を煽る情報発信を厳しく規制している。だが、事件が多ければ話は口コミで広がる。なにより、当局が削除態勢に入る前に微博や微信(それぞれXやLINEに似た中国アプリ)にアップされた現場の画像や動画は、やはり人の目に触れていく。
不条理犯罪「献忠」という流行語
ここで注目すべきは、最近の一連の事件をすべて結びつけた「献忠」といった言葉の流行だ。捨て鉢になっておこなわれる不条理な無差別殺人、くらいの意味のネットスラングで、主に海外の中国系ネットユーザーの間で使われている。 特定の傾向がある犯罪は、名前が与えられてカテゴリーが作られることで人々の注目が高まる。これは日本において、個人売春が「援助交際」、電話を使用した詐欺が「振り込め詐欺」、代行強盗が「闇バイト」などと名前を与えられたことで世間に認知され、社会現象になった例を考えるとわかりやすいだろう。 中国においても、以前から存在したはずの無差別殺人に「献忠」の名前がついたことで、それ自体がひとつの意味を持つことになった。「献忠」の別名は「社会報復」(社会に対する報復)である。実生活の不満を、刃物を振り回したり人混みに自動車で突っ込んだりすることで解消し、実質的に自分の人生も終わらせる。一種の社会的自殺行為だ。 9月に発生した深圳の日本人学校児童襲撃事件の容疑者についても、10月18日付けの讀賣新聞が「職探しがうまくいかず不満を持っていた」「何か大きなことをすれば自分が注目され、日本人を刺せば反響が大きく、自分を支持してくれる人もいるだろうと思った。日本人学校の場所はネットで探した」という動機があったとする関係者の談話を報じている。 これが事実とすれば、日本人学校児童という標的の選択には政治的事情があるものの、犯行の動機それ自体は「献忠」だったということだ。「類似の事件はいかなる国でも起きる」という中国外交部の発言は、(国家として無責任だという点を除いて)事実認識としてはある意味で正しい。ただし近年、中国では他国に増して「献忠」が増えていると言わざるを得ない。