《深圳児童殺害事件の背景》中国版“無敵の人”の無差別犯罪「献忠」続発の深い闇
総加速師・習近平と「献忠」
「献忠」の由来は、前近代の中国の張献忠(1606~1646)という武将だ。彼は明末の李自成の乱に呼応した反乱軍の指導者の一人で、蜀(四川省)一帯の掌握に成功したが、当時の天下の趨勢は満洲族の清に定まりつつあった。張献忠はジリ貧の状況に捨て鉢になったのか、臣下や蜀の民を大量に虐殺する。彼の名が現代まで残っているのも、この悪行のせいだ。 虐殺については、戸籍の人口を根拠に300万人以上が殺されたという巷説もあるが、これはおそらく蜀の行政機構が崩壊して個人を把握できなくなったためで、そこまで多くはないだろう。ただ、蜀の人口構成に影響が生じるレベルの被害が出たのは確実である。後世に文豪の魯迅が「殺、殺、殺人、殺」と書いたように、そこそこ歴史に詳しい中国人の間では、張献忠の悪名は不条理な虐殺者の代名詞的存在だ。
いっぽう、「献忠」がネットスラング化したのは、ゼロコロナ政策のもとで社会の閉塞感が強まりはじめた2021年ごろである。おそらく、テレグラムなどで反体制的な「不謹慎ネタ」をやりとりしている、悪趣味オタク系の若いネットユーザーの間で広まったと思われる(往年のオウム事件の際、日本の中学生がふざけて「ポアする」という言葉を使っていたようなものだ)。四川省綿陽市の七曲山大廟にある張献忠像の写真も、スラングとともに盛んに用いられるようになった。 張献忠は歴史人物であるためか、彼の名前や画像そのものは検閲に引っかからない。さすがに無差別殺人事件を「献忠」として紹介する投稿は削除されるものの、スラングの象徴である張献忠像に文字を加えた画像や動画は、中国国内でも閲覧できる。いまや中国国内でも、ある程度スラングに詳しい人ならば「献忠」は知っている言葉のようである。 「献忠」を流行らせた悪趣味クラスタでは、習近平について「総加速師」というあだ名も広がった。往年、鄧小平が改革開放政策の「総設計師」と呼ばれたのをもじった呼称で、中国を亡国へと加速させる当事者というわけだ。総加速師・習近平のもとで行き詰まった人物が、無辜の人民を殺害する行為が「献忠」である。