「うちの社員はすごい!」 “仕方なく”家業を継いだ男性に起きた心境の変化 大阪府八尾市の木村石鹸
IT企業勤めをやめ、しぶしぶ家業の「木村石鹸」(大阪府八尾市)を継いだ木村祥一郎さんは4代目。実家は大正時代から続く老舗の町工場で、釜の中で成分を反応させてつくる「釜焚き製法」を守って石鹸や洗浄剤などをつくっていました。 2013年に木村石鹸に戻ってきた当時、事業の継続に不安だったという木村さんにどのような心境の変化が起き、100周年を無事に迎えられたのか。木村さんの著書『くらし 気持ち ピカピカ ちいさな会社のおおらかな経営』より一部を抜粋し、紐解いてみます。 【写真】伝統的な「釜焚き製法」を続ける木村石鹸の工場での、ものづくりの様子
■うちの社員は、ほんまにすごい 「なぁ、うちの社員はすごいんやぞ」 親父がそう自慢してくるたびに、僕は心の中で「こんな地方の小さい会社にすごいやつがいるわけないやん」と小馬鹿にしていました。 親父は石鹸会社の社長です。社員数名。典型的な地方の零細メーカー。社長といっても製造もするし営業もする。いつも作業着を着て、どろどろになるまで働いていました。 僕にはその姿はものすごく格好悪く見えたんです。そういう姿に憧れて、父親と同じ道を歩みたいと思う人もいるのかもしれませんが、僕は逆でした。毎朝スーツを着て出社するお父さんをもつ周りの友達がうらやましかった。
住まいと工場は同じ場所にあり、親父はいつも目の前の工場にいて、石鹸を焚いたり、箱詰めをしたり、工場を修理するのに溶接したり、鉄を切ったりと「いったい何屋なんだろう」と思うくらい、あくせく働いていて。 【写真をすべて見る】工場内の様子や「百年祭」、先代社長夫婦の近影など 家族旅行の記憶は、お盆や正月に母の実家の三重に行ったことくらい。海外どころか日本国内も、家族で出かけたという記憶はありません。 創業者の名前は木村熊治郎といい、僕のひいおじいさんにあたります。
代々の家業ということもあり、親父には物心つくころから「おまえはこの会社を継ぐんやぞ」「おまえは4代目なんやから」と言われ続けていたわけですが、そう言われれば言われるほど、反発心が芽生えていきました。 ■後継ぎプレッシャーや呪縛からの逃避 なぜ、自分の人生を勝手に決められないといけないのか。 自分はこんな小さな誰も知らないような会社ではなく、もっとクリエイティブな世界で、もっと大きな世界で活躍するんだ。その根拠のない自信の背景には、ここから一刻も早く脱出したい、違う世界に身を置きたいという気持ちがあったように思います。