「もし反発したら、外すわ」なぜ全日本女子プロレスには“25歳定年制”が存在した? あのビューティ・ペアさえ引退に追い込まれた“独特の掟”
現役を続行したブル中野
しかし、武藤敬司などが「この世界、10年やって一人前」と語るように、プロレスラーとして円熟味が増していく時期に半ば強制的に辞めさせてしまったのは、あまりにももったいないようにも思える。この点についてロッシー小川は、「クラッシュ・ギャルズより前の時代は、複雑な試合内容は求められなかった」と証言する。 「当時の試合は、1年目の新人も3年目のメインイベンターもクオリティにたいして差はなかったんですよ。プロレスって蓄積されて生まれるものってあるじゃないですか。キャリアを増すことによって、プロレスがわかってくるからリードもできるようになるし、試合内容に深みが生まれる。でも、昔はその必要がなかったんです」 全女において試合内容がとくに重要視されるようになったのは、クラッシュ・ギャルズ時代以降。さらに90年代に入り、ブル中野とアジャコングの抗争などで、観客の中心が男性のプロレスマニアに移ってからは、その傾向がより顕著になっていった。そしてこの時代から、「25歳定年制」も自然と消滅していく。 80年代末からWWWA世界王者として全女の頂点に君臨したブル中野は、92年11月26日の川崎市体育館大会でアジャコングに敗れ、WWWA世界王座から陥落した。この時、ブルはキャリア10年目の24歳。これまでの全女の通例に従えば引退しなければならないが、ブルは王座陥落後も別格の存在として限定出場で現役を続行。さらに個人でメキシコCMLL、アメリカのWWE、WCWなどに進出して王者になるなど、世界で活躍する日本人女子プロレスラーの先がけとなった。
「25歳定年制」はこうして形骸化した
そして全女も93年から本格的に団体対抗戦の時代に突入。そこで男性ファンたちが熱狂したのは、アジャコング、北斗晶、豊田真奈美、井上京子ら卓越したプロレス技術を持った選手たちの激闘だ。 こうして全女のレスラーに求められるものが、「若さとひたむきさ」から、プロレスの試合としてのクオリティに変わっていったことで、「25歳定年制」は形骸化していったのだ。 現在、日本の女子プロレス界は「レスラーのアイドル化」と言われて久しいが、トップレスラーの多くはキャリア10年以上で25歳以上の選手。ルックス重視と思われながらも、それ以上に試合内容も重要視されている。それはかつて男のプロレスから半ば“別ジャンル”扱いされ区別されていた女子プロレスが、名実ともに「プロレス」となった証でもあるのだろう。
(「ぼくらのプロレス(再)入門」堀江ガンツ = 文)
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