「もし反発したら、外すわ」なぜ全日本女子プロレスには“25歳定年制”が存在した? あのビューティ・ペアさえ引退に追い込まれた“独特の掟”
「25歳を越えた選手が化けるとは思わない」
松永会長は著書で、こうも述べている。 「25歳を越えた選手が化けるとは思わないもん。25歳を過ぎてから人気が出た選手はひとりもいないんだよ。『25歳以上のチャンピオンもありえない』って俺は言うの。(中略)25歳を過ぎてもプロレスをやるって言うなら、やっぱりメインイベンターでもうしろへ引かせないと。どうしても、そこがガンになると。だって、次を出しておかないと、そのメインイベンターが終わったら、会社が全部終わっちゃうもんね。 (選手が)もし反発したら、そこから外すわ。そりゃ甘やかしたらダメですよ。こちらが常に主導権を持ってこないと。言うことを聞かなかったら、身の振り方を考えろと。どんな子でも『この子に辞められたら困る』というのをわからせちゃうと、横暴になるからね」 ここで注目したいのは、「25歳以上のチャンピオンもありえない」という発言だ。全女には25歳定年制と並行して、団体の頂点の証であるWWWA世界シングル王座(通称・赤いベルト)に就いた選手が敗れて王座陥落したら引退しなければならないという不文律も存在したのだ。 それを長与千種は「赤いベルトは死のベルト」と称したが、大相撲で横綱が陥落できずに引退しなければならないのと同じように、WWWA世界王座を失った女子プロレスラーに待っているのも引退だけだった。
ビューティ・ペアでさえ引退に追い込まれた
団体に「旬が過ぎた」と判断され、WWWA世界王座陥落とともに引退に追い込まれる。その代表的な例が、全女が生んだ最大のスターのひとり、ジャッキー佐藤だ。 70年代後半にビューティ・ペアとして一世を風靡したジャッキー佐藤は、パートナーのマキ上田と比べても圧倒的な人気を誇っていたが、79年2月にマキが引退しビューティ・ペアが解散すると、ファンにひとつの時代が終わったと判断されたか、ジャッキーの人気も急落。全女の観客動員も見る見る落ちていった。 ここで松永兄弟は「ジャッキーは旬がすぎた」と判断し見切りをつけ、世代交代を図る。81年2月25日横浜文化体育館で、WWWA世界シングル王者のジャッキー佐藤に、19歳の新鋭である横田利美(ジャガー横田)を挑戦させた。 この全女最高峰のタイトル戦は、全女用語で言うところのピストル。つまり押さえ込みルールによる真剣勝負で行われ、横田がジャッキーを完璧に押さえ込んでスリーカウントのピンフォール勝ち。王座陥落したジャッキーは、それまでいちばん大きく載っていた興行ポスターの写真も小さく掲載されるようになり、タイトル戦の3カ月後に引退。盛大な引退式もなく静かに全女を去っていった。 「当時は誰が辞めても『ああ、これでこの給料払わなくてよくなった』みたいな感じで、まったく気にしてなかったんです。ある意味でドライですよね。会社にとってはいてほしくないわけです。給料は高いし、ベテランがトップを張っていると若い選手が出てきにくくなってしまうから」(ロッシー小川) このように、どんなスター選手でも新陳代謝のために25歳前後、キャリア10年未満でリングを去っていたかつての全女。『放浪記』で知られる小説家の林芙美子が色紙などに好んで書いた短詩、「花の命は短くて、苦しきことのみ多かりき」を体現していたのが、全女のレスラーたちだったのである。
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