「もし反発したら、外すわ」なぜ全日本女子プロレスには“25歳定年制”が存在した? あのビューティ・ペアさえ引退に追い込まれた“独特の掟”
ダンプ松本の半生を描いたいNetflixドラマ『極悪女王』で話題となった全日本女子プロレス(以下、全女)は、1985年まで国内唯一の女子プロレス団体だった期間が長かったため、他の団体にはない独特のルール、掟が存在した。その代表的なものが、酒、タバコ、男を禁じる「3禁」と、もうひとつが「25歳定年制」だ。 【写真】大観衆に応える若き日のビューティ・ペア、相手を締め上げるブル中野…『極悪女王』で話題を集めた唐田えりか、剛力彩芽の華麗なドレス姿も。この記事の写真を見る。 「25歳定年制」とは、その言葉通り、どんなレスラーでも25歳前後になったら“定年”を迎え引退しなければいけないというもの。25歳というと、プロレスラーとしてこれから脂が乗ってくる時期であり、アスリートとしてもピークの頃。あまりにも早過ぎるとも感じるが、全女の松永高司会長には「女子のピークは20歳前後。25歳になったら力が衰える」という信念があり、この不文律が生まれた。 著書『女子プロレス 終わらない夢 全日本女子プロレス元会長 松永高司』(扶桑社)で、松永会長は25歳定年制を定めた理由を次のように説明している。 「女子レスラーのいい時期は、15歳から25歳まで。最高に光らせて、ピークに持っていったときに辞めさせる。それで『25歳定年』なんですよ、だいたいは。それ以上使っていたんでは逆に酷だし、少しでも落ちる姿を見せたくなかったし、嫁に行く機会もなくなっちゃうからね」
ロッシー小川は全女を「八百屋」に例えた
つまり25歳定年制は、松永会長が考える「女子レスラーの最もいい時期」に活躍させ、それ以降は第二の人生のことを考えて引退させる。要は選手のためを思っての“親心”ということだ。 実際に25歳定年にはそういった意味があったことはたしかだろう。ただ、それだけではない。そこにはシビアなビジネスとしての考えも当然存在した。 70年代末から90年代後半まで全日本女子プロレス興業の社員として広報などを担当した現マリーゴールド代表のロッシー小川は、全女を「八百屋」に例えてこう語っている。 「昭和の時代の全女は、つねに新陳代謝をして“鮮度のいい商品”をお客さんに提供するという考えだったんですよ。その鮮度が落ちてきたらもういらないんです。要するに、つねに新しい商品を並べるために棚から外さなきゃいけない。それが25歳定年制の根本にある。 だからクラッシュ・ギャルズの前ぐらいの時代までは2~3年でトップになれなかったら、もうなれないんです。次の若い選手がどんどん出てくるから、4~5年やったらもう辞めざるをえなくなってくる。だから25歳定年と言っても、実際に25歳になったら『はい、辞めてください』っということではなくて、旬を過ぎた選手はマッチメークで冷遇され始めるので、選手のほうでそれを感じ取る。全女での旬って短かったんですよ。昔は15歳、16歳で入るから、10年やったら25歳で、もうそれでおしまいなんです。 また長くやっていると選手に知恵がつくでしょ。たとえば『年間280試合もやらされて、これだけしかお金がもらえないのはおかしい』とか考えるようになる。だから知恵がつかないうちに『もう歳だからやめなさい』ということになるんですよ」 10代半ばでプロレス入りした女の子を全女が選手として必要とするのは、“旬な時期”である数年間のみ。それを過ぎたら、半ば使い捨てにされるという極めてシビアな現実が浮かび上がってくる。
【関連記事】
- 【写真】大観衆に応える若き日のビューティ・ペア、相手を締め上げるブル中野…『極悪女王』で話題を集めた唐田えりか、剛力彩芽の華麗なドレス姿も。この記事の写真を見る。
- 【あわせて読みたい】「認めたくなかった…」“育ての親”が突然の自死、長与千種(59歳)の初告白…故・松永国松さんに告げられた「おまえのような選手には2度と…」
- 【全女伝説の廃墟】「総工費5億円」が今では廃墟に…あの『極悪女王』でも話題 37年前“全女”全盛期に完成の“伝説の施設”「リングスター・フィールド」を訪ねてみた
- 【もっと読む】「ダンプを丸坊主にできる。でも…」スーパーアイドルだった長与千種はなぜ“髪切りデスマッチ”を行い、負けたのか? 本人が明かした“悲劇の真実”
- 【秘話】「『裸になれ』って。みんな脱いでるから…」新人時代の長与千種が見た、全女・松永一族の素顔「何十億も一瞬でなくす」「賭けの対象にされました」