「手術をしないと性別変更できない」は憲法に違反するか #性のギモン
この国が想定する保守的な家族像。そこから一歩踏み出すためには?
そもそも当事者のニーズは多様です。戸籍の性別を変えなくてもそれほど不都合はないという人もいます。だいたい、あちこちの書類に性別を書かせるから、かえって混乱が生じるわけで、性別にかかわらず、不自由なく生活できる世の中になるほうが重要だと、私は思うんです。実際、例えば運転免許証には、性別の記載がないんですから。 しかし、婚姻や親子関係は、法的効果を発生させるのに性別が必要ですから、性別を書かないわけにはいきません。 そういう意味では、私は、現在の特例法で最も問題があるのは、③の「未成年子なし要件」だと考えています。 トランスジェンダーは「性別移行」を伴います。ある日突然、性別が変わるわけではありません。自己が認識する性別に、身体や外見を少しずつ合わせていく。なかには、親のすすめで結婚して、子どもももうけたけれども、やはり自分は反対の性別であるというアイデンティティーから性別移行を始める人もいます。その人なりのプロセスがあるんです。 性別移行を終えて、子どもも受け入れている。それに戸籍を合わせてほしいと求めているだけなのに、子どもがいるからダメというのは、合理的な理由といえるのでしょうか。 「子の福祉」という理由づけは、性同一性障害の親を持つと子どもが不幸になると言っているようなもので、その決めつけは明らかにおかしい。 ある人に性別違和があって、性別変更したいかどうかと、子どもを持ちたいかどうかは、別のベクトルの話です。パートナーがいて結婚もしたいけど、子どもは考えていないという人もいれば、子どもは欲しいけどパートナーはいらないという人もいる。当然ですよね。 日本は、家族のあり方がとても保守的です。この国が想定している家族像は、婚姻関係にある夫と妻がいて、そのあいだに子どもがいるというもので、それをベースに考えすぎている。そこから一歩も動かせない。 けれども、同性同士のカップルに子どもがいてもいいし、親子の関係はどうするんだというなら、婚姻という横の関係とは別に、親子という縦の関係をつなげばいいと思うんですよ。 そういう多様な家族のあり方を考えないで、特例法の要件だけをうんぬんするのは、あまり建設的ではないんじゃないかなと思うんですね。 トランスジェンダーや同性カップルの当事者でなくても、国が想定する図式に当てはまらないために不幸になっている人はたくさんいます。でも本当は、その図式は、家族のあり方のごく一面でしかないんです。 当事者たちは、その属性を除けば、多様で平凡な個々です。ふつうに働いて、ごはんを食べて、泣いたり笑ったりして日々を過ごしています。 そして、私は法律実務家ですから、当事者たちをいかに幸せにできるかを考えます。そのための議論が必要だと思っています。