建築も見どころのパリオリンピック。「新凱旋門」に要注目―ロランス・コセ『新凱旋門物語: ラ・グランダルシュ』
いよいよ開幕したパリ2024オリンピック。歴史的な都市で開催される祭典のもう一つの見どころは、都市そのものであるといっていいでしょう。その中でも、ひときわ目を引く、モダンな立方体の建物が中継に映し出される瞬間があるかもしれません。その建物は、新凱旋門=ラ・グランダルシュという建物で、審査委員には日本の建築家の黒川紀章も名を連ねた、国際的なコンペティションを経て1989年に建てられたものです。そんな名建築が、どんな激動の過程を経て生まれたのかを、丹念な調査をもとにしながら「建築小説」として記した本書から、その魅力を凝縮したあとがきを抜粋しておおくりします。 ◆ミッテラン肝いりの一大国家プロジェクト 一九八一年五月、フランス大統領に就任したフランソワ・ミッテランは、同年九月の記者会見でパリにおける大規模な建築計画を発表した。前任のジスカール・デスタンから引き継いだ三件――オルセー美術館、ラ・ヴィレット公園、テート=デファンス地区再開発計画――に、ルーヴルのピラミッド、バスティーユの新オペラ座、国立図書館などの六件を加えた全九件のプロジェクトは「ミッテランのグラン・プロジェ」と呼ばれるようになる。そのいずれもが記念碑的性格を有していたが、なかでもテート=デファンス地区は、ルーヴル美術館からテュイルリー庭園、コンコルド広場、シャンゼリゼを通ってエトワール広場のナポレオンの凱旋門へと続く、いわゆるパリの歴史軸の延長線上に位置し、この地区をどう扱うか、そこになにを建てるかは、建物の実用性、あるいは美観を超えて、象徴的意味をもつ微妙な問題だった。 ミッテランはこの地区についての前大統領の決定を覆し、新たな設計案を決めるために無記名式国際設計競技を開催することに同意する。一九八二年五月、四百件あまりの応募作のなかから、デンマーク人建築家ヨハン・オットー・フォン・スプレッケルセンの設計案が最優秀賞に選ばれた。それが本書の主題《デファンスのラ・グランダルシュ》である。その中空になった白亜の立方体はシンプルかつ壮麗、エトワール広場の凱旋門に呼応して「新凱旋門」とも呼びうる門型建築物であり、この場所が自分の名前と永く結びつけられることを期待したミッテランはこの作品を高く評価した。建築家・建築ジャーナリストのフランソワ・シャランは一九八七年の来日時に出演したテレビ番組で、「ミッテランのグラン・プロジェ」を、ルイ一三世様式やルイ十四世様式のように建築史にみずからの名を刻んだ過去の至高権者の歴史的系譜に位置づけている。二十世紀において、フランス第五共和制の歴代大統領は国家元首として多少なりとも君主的ではあったが、フランソワ・ミッテランは左派を標榜して大統領に選ばれながら、だれよりも絶対君主的に振舞った。本書でミッテランがしばしば「君主」に、彼を取り巻く人びとが「宮廷」に例えられるのは、ミッテランに対する著者コセの辛辣な皮肉である(だいいちスプレッケルセンもミッテランを、よい意味でではあるが、「太陽王」と呼んでいる)。 ◇デンマークとフランスの大きすぎる文化の違い 無名の建築家スプレッケルセンにとって輝かしい栄誉となるはずのプロジェクトは、しかし彼に大きな悲劇をもたらした。スプレッケルセンは知的な教養人で、カリスマ性を備えていたが、ナイーヴなところもあった。国家の規模が小さく、ものごとの決定過程が単純なデンマークからきた建築家はフランス政治の複雑さ、官僚主義、開発業者も巻きこんだ金銭的駆け引きについていかれなかった。デンマーク人は秩序と決まりを重んじるのが習慣で、いきあたりばったりとも思える用途変更に対処できない面もあった。またスプレッケルセンは完璧主義者で柔軟性に欠け、自分の求めるデザインに固執するあまり、技術面や材質の耐久性、資金的制約から要求される設計変更を受け容れなかった。そのうえ実作の経験があまりにも乏しく、《ラ・グランダルシュ》のような大型建造物の設計監理にあたるための準備が、能力的にも精神的にもできていなかった。彼はデンマークとフランス、二つの文化の板挟みとなって苦しみ、建築物の規模に圧倒され、自分の完璧な設計が歪められるのに耐えなければならなかった。結局、建設途中で力つき、一九八六年六月に職務を放棄する。そのわずか数か月後、建設者というよりはひとりの審美家だった人は、世界にその名を知らしめた建物を一度も目にすることなく、デンマークでこの世を去るのである。 ◇サン=テグジュペリを大叔父にもつ著者の実力 著者のロランス・コセはジャーナリスト、文芸評論家、小説家、劇作家。一九五〇年、パリ近郊ブローニュ=ビヤンクールに生まれた。『星の王子さま』の著者、アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ は大叔父にあたる。「ル・コティディアン・ド・パリ」紙で文芸批評を担当、ラジオ局フランス・キュルテュールで番組制作のプロデューサーを務めた経験もある。一九八一年発表の処女小説Les Chambres du Sudでサント=ブーヴ賞、アリス=ルイ・バルトー賞を受賞。宗教がテーマの小説Le Coin du voile (Gallimard,1996)は英語、イタリア語など六か国語に翻訳され、ジャン・ジオノ賞、ロラン・ド・ジュヴナル賞、カトリック作家賞を得ている。さらにダイアナ妃の事故死をモチーフにした小説Le 31 du mois d'août (Gallimar, 2003)でもシネ・ロマン・カルト・ノワール賞を受けた。本書は小説としては十一作目にあたり、建築や「グラン・ブロジェ」に関心のある読者層ばかりでなく、広く一般の共感と支持を集めて、フランソワ・モーリヤック賞、建築アカデミー書籍賞、エクリール・ラ・ヴィル賞を受賞した。二〇一五年には全業績に対してアカデミー・フランセーズ文学大賞を贈られている。最新作は二〇二三年刊行のLe Secret de Sibil。なおコセの長編小説はすべてGallimard社から刊行されている。 コセ本人はこの作品を「フィクションのない小説」と呼び、インタビューや文献調査、現地取材などに約一年をかけて、《ラ・グランダルシュ》建設の歴史と建築家スプレッケルセンの肖像を事実に基づいて再構築。アイロニカルなメタファーや言葉遊びを駆使した詩的でリズミカルな文体のなかで、五十五の章を建築の部材のように組み立てて、ついには過去も未来も含めた《ラ・グランダルシュ》の全体像を一棟の巨大建造物のように読者の眼前に出現させる。 ◇ 日本とフランスにおける巨大建築 本書を翻訳しているあいだ、訳者の心のなかにはいつも、二〇一四年の国立競技場設計案白紙撤回直後のザハ・ハディドの死があった。スプレッケルセンの「精神的な暗殺」は、磯崎新が「〈建築〉が暗殺された」と悼んだハディドの死を連想させる。しかし、スプレッケルセンの《ラ・グランダルシュ》はフランソワ・ミッテランの強い後押しがあったことで、本人の理想どおりではないにしても、とにかく実現はされた。一方、ハディドの国立競技場は大衆に迎合した権力者の政治的思惑の犠牲になった。ハディドの国立競技場があったはずの場所に隣接して、いま明治神宮外苑では大規模な再開発計画が進行中である。テート=デファンス地区と同様に歴史的象徴性と集団の記憶の場であるこの空間を、全世界の人びとが集う「人類の凱旋門」を構想したスプレッケルセンならば、いったいどのようにデザインしただろうか? [書き手]北代美和子 翻訳家・日本文藝家協会会員。上智大学大学院外国語学研究科言語学専攻修士課程修了。日本通訳翻訳学会元会長。訳書に『シャルロット・ペリアン自伝』(みすず書房、2009)、『エッセイ』(イサム・ノグチ、みすず書房、2018)、『嘘と魔法』エルサ・モランテ、河出書房新社、2018)、『シャルル・ドゴール伝』(ジュリアン・ジャクソン、白水社、2022)など多数。 [書籍情報]『新凱旋門物語: ラ・グランダルシュ』 著者:ロランス・コセ / 出版社:草思社 / 発売日:2024年06月3日 / ISBN:4794227264
草思社
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