【追悼】東京地検特捜部元検事・堀田力弁護士が語った「ロッキード事件」捜査秘話 「捜査はどこまでいくのか、いつやるのか」田中元総理逮捕の1か月前に掛かってきた電話の主は… 平成事件史(21)
さらに、ロッキード社のメモには、政府高官の名前が列挙されていた。「タナカ、ハシモト、サトー……」と記されたそれぞれの名前の横には、何やら具体的な数字が添えられていたのだ。 ローマ字で記された「タナカ」は田中角栄元総理大臣、「ハシモト」は橋本登美三郎元運輸大臣、「サトー」は佐藤孝行元運輸政務次官を指すことは明白だった その数字は、彼らが受け取った金額を示していると推測された。 米国からもたらされたこれらの未公開資料により、「丸紅ルート」が急浮上した。 捜査の軸足は「児玉ルート」から「丸紅ルート」へ大きくシフトすることになった。 特捜部はロッキード社の民間機「トライスター」売り込み工作をめぐる丸紅を通じた、田中元総理への「5億円」の解明に向けて、捜査を一気に加速させたのである。 田中政権は1972年7月に発足。全日空がロッキード社の「トライスター」採用を決めたのは、1972年10月だった。 この間に、丸紅側から田中総理側への工作があったとみられていた。 当時のTBSニュースは、全日空がトライスターの採用を決めたあとの1974年2月、ロ社のコーチャン(当時は社長)が、1号機を羽田空港で引き渡す式典の模様を伝えている。 赤い花束を持ってタラップを降りるコーチャン、その姿を見上げながら拍手で迎える全日空の若狭得治社長や幹部、キャビンアテンダントたち。 式典の華やかさの裏側で、いったい何が起きていたのだろうか。 特捜部は、「トライスター」採用に至った選定経緯を明らかにするため、全日空や丸紅の役員に次々と出頭を求め、一斉事情聴取を開始。 捜査の包囲網は急速に狭まりつつあった。 ■ロッキード社側が「嘱託尋問」を拒否 法務省刑事局の参事官だった堀田は、希望が叶い、4月から正式に東京地検特捜部に異動。 そして、4月29日から2度目の渡米を命じられた。米国で捜査権のない日本の検察官に代わって、司法省にロッキード幹部を取り調べてもらう「嘱託尋問」を取り付けるためだった。 米国司法省、SEC(証券取引委員会)の関係者と打ち合わせを繰り返した。
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