【追悼】東京地検特捜部元検事・堀田力弁護士が語った「ロッキード事件」捜査秘話 「捜査はどこまでいくのか、いつやるのか」田中元総理逮捕の1か月前に掛かってきた電話の主は… 平成事件史(21)
「嘱託尋問」を開始しなければ、コーチャンらの証言を引き出し、その「供述調書」を受け取ることができない。堀田は吉永を説得し、その結果、フセケンこと布施検事総長は5月20日、ロッキード社側の要望に応じ「不起訴宣明」を出すことを決めた。 「コーチャンらが証言した事項については、たとえそれが罪となる場合でも起訴しない。この決定は後任者にも拘束力を持つ」(布施検事総長の不起訴宣明) 休む間もなく堀田は5月26日、東条伸一郎検事(17期)と2人でアメリカに乗り込んだ。コーチャン副会長らの取り調べ、いよいよ嘱託尋問の手続きに入るためだ。 これが3回目の極秘渡米だった。 ■驚きのあまり、頭が真っ白になった 堀田にはさらなる大きな困難が待ち受けていた。 ロッキード社側の弁護士は、「嘱託尋問」は「違法」にあたると主張して、コーチャン副会長らは嘱託尋問、取り調べを拒否したのである。 「ロッキード社側のとびきり優秀な弁護士3人から、すさまじい抵抗を受けました」(堀田) やはりコーチャンらは、日本の捜査当局から逮捕されることを恐れていたからだ。 「嘱託尋問」の開始、そして証言記録の入手が大きくずれ込むことになった。 コーチャンらの証言拒否を受けて、ロス地裁は堀田に難題を突きつけた。 「検事総長が保証したコーチャンらの不起訴についての刑事免責を、さらに日本の最高裁判所が保証すること。その決定がない限り、嘱託尋問の証言記録を日本側に渡さない」 堀田は「驚きのあまり、頭が真っ白になった」という。 検察トップの検事総長の約束だけでは不十分であり、さらに最高裁判所が、検察が起訴しないことを将来にわたって保証しろという要求だった。 「そもそも日本の裁判所は起訴や不起訴の権限をもっていない。そんなことを最高裁判所に頼めるだろうか…」(堀田) 時効期限が1か月後に迫っていた。 堀田からの国際電話で相談を受けた吉永は、直ちに検察幹部、法務省刑事局と協議、最高裁に合意を取り付けた。 つまりこういうことだ。検事総長がコーチャン副会長らに対する「不起訴」を確約し、さらに「最高裁判所」がその「不起訴」に法的正当性を保証、お墨付きを与えるという前代未聞の対応であった。 日本の法律にはない「超法規的措置」によって刑事免責を与えるという異例の対応が取られたのだ。
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