【追悼】東京地検特捜部元検事・堀田力弁護士が語った「ロッキード事件」捜査秘話 「捜査はどこまでいくのか、いつやるのか」田中元総理逮捕の1か月前に掛かってきた電話の主は… 平成事件史(21)
この間、日本にいる主任検事の吉永と連絡を頻繁に取り合った。 司法省のクラーク検事から情報提供されたSECの英文資料を読み込み、節目節目で国際電話で報告した。 米司法省は、国外犯を米国で処罰することはできない。一方で、クラーク検事らは「不正義がまかり通るのは許せない」との正義感から、堀田への協力を惜しまなかった。 吉永は、堀田からの報告を聞きながらコーチャン副会長、クラッター日本支社長らに対する「嘱託尋問調書」の質問事項を練っていた。 5月14日、堀田は「SEC」での「コーチャン証言速記録」などの新しい資料を持っていったん帰国した。 堀田が持ち帰ったSECの資料には、コーチャンのさらに詳しい証言内容が含まれていた。 【コーチャン証言より】 ・1972年8月20日頃、トライスター売り込みの最後の仕上げに来日した。 ・その際に金額のことを持ち掛けてきたのは、丸紅の大久保専務らである。大久保からトライスターの売り込みのためには「5億円」必要であると言われた。 ・ロッキード社の日本支社は「丸紅」に「5億円」を「4回」に分けて支払った。 そのときの領収書が丸紅・伊藤専務がサインした「ピーナッツ」「ピーシーズ」である。 その一方で、堀田は「嘱託尋問」に関して問題が生じていることを吉永に報告した。 「実はコーチャンらが「嘱託尋問」に応じるための条件として「罪を問わないこと」を保証してほしいと言っています。身の安全がはっきり保証されない限り、証言はできないと。 検事総長から「絶対に起訴しない」「罪を見逃す」という“不起訴宣明書”をもらうことは可能でしょうか」(堀田) これは、コーチャン副会長らがどんな証言をしても、日本の法律では裁かないことを検察トップに保証してもらいたい、という要求だった。 つまり、日本の捜査当局がロッキード社幹部の「刑事責任を問わないこと」「罪を見逃すこと」を文書で確約しろということだ。 当時、日本では司法取引の一種にあたる「刑事免責」は認められていなかった。 時効まで残り3か月という状況下で、検察は厳しい判断を迫られた。
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