【追悼】東京地検特捜部元検事・堀田力弁護士が語った「ロッキード事件」捜査秘話 「捜査はどこまでいくのか、いつやるのか」田中元総理逮捕の1か月前に掛かってきた電話の主は… 平成事件史(21)
「日米司法取り決め」にもとづき、特捜部の吉永は4月6日、SECの未公開資料を受け取るために、特捜部の資料課長ら2人の事務官をアメリカへ密かに派遣した。 2人はメディアに気づかれないようにアロハシャツに付けつけひげで変装し、羽田空港を飛び立った。 4月10日、特捜部資料課の2人はアメリカから未公開資料のコピーの分厚い束を受け取り、日本に帰国。 空港から吉永に電話でマスコミに気づかれてないことを報告すると、吉永からは意外な指示が返ってきた。 「もうマスコミにはバレてるから、変な格好で検察庁に入ってくるなよ」 空港で着替えた2人は、未公開資料を抱えて検察庁に向かった。案の定、検察庁前には特捜部の動きを察知した多くの報道陣が待ち構えていた。 アメリカから提供された未公開の捜査資料が、ようやく検察庁に到着した。 2000ページを超える膨大な資料は、金庫の中に厳重に保管された。 堀田は、翌日から吉永とともに資料の解読作業に着手した。 丹念に目を通す中で、ある異様なチャートが目に留まった。それはロッキード社のコーチャン副会長が手書きしたと見られる「人物相関図」だった。 幾重にも交錯する線と名前が描かれたチャートは、事件の核心を暗示するような存在感を放っていた。 そこには、丸紅や全日空の役員、児玉誉士夫や小佐野賢治らの名前が並び、それを結ぶ矢印が描かれていた。 驚くべきことに、丸紅の檜山会長と大久保専務から伸びる矢印の先には、ローマ字で「タナカ」の名前があった。 その矢印が集中して向かう先―それは、当時の総理大臣、田中角栄だった。 「矢じるしがタカナに向かって集中していた。田中角栄はその時の総理大臣。捜査の筋として、ワイロの最終ターゲットはタカナだと思いました」(堀田) また、コーチャン副会長の日記には、田中政権下の1972年8月23日、丸紅の檜山社長(当時)と大久保専務が、東京・目白の田中総理の自宅を訪問した記録が残されていた。 加えて、田中政権発足直後の1972年8月20日、コーチャン副会長がトライスター機の売り込みの最終確認のために来日したという記述もあった。
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