「不登校理解されず家族から腫れ物扱い」29歳の女性僧侶が自分を肯定できた理由と「今を生きる子が直面する課題」
■不登校を理解してもらえず家族との間に壁が ── 僧侶になったことについて、ご家族の反応はいかがですか? 片岡さん:特に反応はありません。お寺は父が継いでいるため私は個人で活動していますし、家族は私の考えていることがよくわからないようです。「何を言っても聞かないだろうから、好きにさせておこう」という感じなのかもしれませんね。 ── ご家族と距離があるのは、何か理由があるのでしょうか? 片岡さん:私は小学5年生の頃から不登校になり、中学卒業までほとんど学校に行きませんでした。先生の言うことに疑問を抱かない学校という環境に違和感を持っていて、それに納得することができずに休むように。しかし家族にはそのことをまったく理解してもらえませんでした。「学校に行くことが当たり前」という「常識人」の家族にとって、私は病人のような存在。この頃から話しても理解されず、向こうの考えを押しつけられることが苦痛だったので、家族とはほとんど話さなくなってしまいました。
すると、本当に話すことができなくなってしまい、声を出そうとしても喉がふさがったような感覚になってしまい…。苦しかったですね。高校は親が決めた養護学校に通うことになりました。 ── 養護学校での生活はどうでしたか? 片岡さん:不登校になってからは家族から病人扱いをされ、周りも腫れ物を触るような扱いでした。養護学校では元からの知り合いはほとんどいなかったので、先入観を持って接されることが小・中時代よりは減りました。
それまで「不登校になるような子だから」と平均レベルの勉強すら「できない」と決めつけ、本当にできないのかすら確かめる機会すら与えられず、『自分はできないんだ』と思い込んでいて…。それが「高校生として当たり前の機会」を真っ当に与えられるようになったおかげで、自分の実力を確かめられるようになり、できること・できないことが分かって、自信を持てるようになっていきました。自分はいろいろなことができて、決して「できそこない」ではないと、自分を肯定できるようになったんです。