「外国人観光客からぼったくっている」「日本の恥だ」との声も…。「インバウン丼」が食べない人にも批判された“深いワケ”
話を戻せば、千客万来もまた、こうした意味での「排除」を日本人に感じさせているのだろう。 高額なインバウン丼が報道されることによって、どこかその場所について、外国人だけが選択され、日本人は排除されているように感じてしまう。 そのことに対する言いようのない不快感を、多くの日本人が感じているのかもしれない。だからこそ、このような反応が生み出されてしまうのだ。 ■大阪でも起こっている「テーマパーク化」への反発
日本が「外国人向けのテーマパーク」のようになっていくことへの反発は、他の場所でも見られる。 例えば、大阪にある黒門市場などはその代表格だ。この場所でも、一部の店頭には数千円する牛串が英語の表示とともに売られていたり、外国人向けのショップが軒を連ねていたりする。 確かに筆者もここを歩いたとき、数万円はくだらないカニや、ウニの盛り合わせに驚いたことがある。だから、それは事実ではあるのだが、そうした外国人向けの高額商品を提供する商店は、商店街の一部に過ぎない、というのもまた事実だ。
ただ、報道などの影響もあって周辺の地元民や、そこに関係のない日本人から黒門市場はすっかりネガティブな印象がついている。一部では「大阪の恥」という根も葉もない称号さえ与えられるほどだ。 地元民にとって、直接「買い物しづらい」という被害も出ているのかもしれないが、ほとんどの人は、こうした黒門市場周辺の事情とは無関係である。にもかかわらず、その評判がこうも広く、そして熱く語られるのは、やはりそこで起こっている「日本人排除」(のように見えるもの)に対する感情的な反発があるからだろう。
「外国人のためのテーマパーク化」は、日本のさまざまなところで発生していて、それに違和感を持つ人々の声がそこにある。 ■「テーマパーク化する日本」をどう生き延びるのか 私が「ニセコ化」と呼ぶ、こうした都市の「テーマパーク化」は今後ますます日本で広がっていくだろう。 私はこうした傾向について、肯定的な立場でも、否定的な立場でもない。ただ、そこに「分断」がある。そのことを感じ、書いている。 けれども、近年のこの「排除(されていると思う)」感覚については、特に事業者側はよくよく考える必要がある。千客万来の例でもわかるように、結局はその「見え方」によって、実態がどうであろうと関係なく、「インバウン丼」のような評判は立つからである。