やり投げ・北口榛花インタビュー チェコでの単身修業からパリ五輪へ、自然体の決意
パリ・オリンピックで金メダルの有力候補とされる日本人選手の一人が、女子やり投げ世界王者北口榛花だ。指導者を求めてチェコの地方都市に移住し、五輪に向けてひたすら練習の日々を送る北口を、地元旭川で競技を始めた高校時代から知るジャーナリストが訪ねた。(北口選手の出場する陸上女子やり投げは、日本時間8月7日予選、11日決勝) *** 5月下旬、女子やり投げで世界の頂点に立つ北口榛花(26歳)の姿は、チェコの片田舎にあった。 「オリンピックでは、『金メダルが獲れたらいいな』くらいにしか思っていないです。獲りたいと思って獲れるものでもない。もちろん試合になったら『獲りたい』という気持ちになるので、そこまでの過程はある程度、余裕を持って『獲りたいな』くらいの気持ちで行きたいです」 北口の名前を世界に知らしめたのは、去年8月にハンガリーのブダペストで行われた世界陸上選手権だった。自身の最終投擲をメダル圏外で迎えた北口は助走路に立ち、手拍子で会場全体を巻き込んだ。持ち前の柔軟性を生かし大きくしなった腕から放たれたやりは、65メートルの白線を超えた。会場の掲示板が66メートル73を示すと、北口は日本人女子選手として同種目で初の金メダルを確定させ、喜びを大爆発させた。9月のダイヤモンドリーグの最終戦でも金メダルを獲得し、文字通り世界の頂点に立った。 オリンピックイヤーが始まってからも、昨年からの好調を維持。7月20日時点で、今シーズンは8大会に出場し、6大会で優勝、パリ・オリンピックでの金メダルも視野に入れる。その北口が、5月に筆者に語ったのが冒頭の言葉だ。謙虚な言葉に聞こえるかもしれないが、北口の自然体は高校時代から変わらない。
息抜きは行きつけのカフェ
北口に初めて会ったのは、2014年。筆者がNHKの記者として北海道旭川市で勤務していた頃で、北口はまだ高校2年生だった。 高校1年の時にやり投げを始めた北口は、水泳とバドミントンで鍛えた肩周りや上半身の柔軟性と、179センチという長身を生かし、一気に高校やり投げ界のスターダムを駆け上がった。衝撃だったのは高校2年のインターハイ。通常は10歩ほどの助走を行うところ、助走が苦手だった北口は極端に短縮し、走路のほぼ真ん中から5歩の助走でやりを投げ、全国優勝を果たした。3年時には世界ユースでも優勝、インターハイも2連覇を果たした。 ユニークなのは競技を始めたいきさつだ。地元の進学校・旭川東に入学した当初は、水泳に打ち込むはずだったが、その恵まれた体格に目をつけた陸上部の顧問が北口に声をかけ、「掛け持ちで良いから」とやり投げを勧めたのがきっかけだった。最初は水泳を優先し、「最後まで陸上部の練習にいたことはなかった」と話すが、記録が向上するにつれて、やり投げを本格化させた。 北口が現在、練習拠点としているのは、チェコの首都プラハから列車で南西へ3時間ほどのところにあるドマジュリツェだ。人口は1万人程度と、出身地の旭川(約32万人)よりも遥かに小さい。チェコといえばビールで、この町の地ビールも美味いが、お世辞にも都会とは言えない。 ドマジュリツェは1945年5月5日、プラハ蜂起に先立ちナチス・ドイツから解放され、町の中には解放に貢献したアメリカの国旗が施された記念碑が鎮座する。ドイツ国境まではわずか10キロで、多くの市民がドイツ語を解し、ドイツで働く人も少なくない。北口に会うため、この小さな町を訪れた筆者は、駅で家族を迎えにきていた地元の人に声をかけて中心部まで車に乗せてもらったが、その女性もドイツで働く一人だった。 北口がチェコを拠点にするきっかけとなる出来事は、大学時代に起きた。高校時代の輝かしい成績を引っ提げ、投擲に力を入れていた日本大学に鳴物入りで入学し将来を嘱望されたが、やり投げを専門にしていた指導者が不祥事によって不在となった。部のメンバーと力を合わせて技術力を磨いたが、さらなる競技力向上のため、半ば一方的にコーチングを頼み込んだのが、やり投げチェコ代表ジュニア部門のコーチを務めるデイビッド・セケラックだった。 当時まだ世界的には無名だった北口は滞在ビザを取得できず、最初は観光ビザで認められる滞在日数の範囲内で調整しながら渡航し、練習した。チェコに渡ってしばらくは精神的な苦労もあったと言う。 「自分の名前が、仲間たちの会話の中に出るんです。チェコ語でみんなが話している中に私の名前が出てくるけど、良いことを言われているのか、悪口を言われているのかもわからなくて。それは結構ストレスというか、何言われているのかなって、ずっと気になっていました」 その後、チェコ語も勉強。今ではコーチとチェコ語だけで会話できるようになり、日本を含む国外への遠征以外は1年の半分近くをドマジュリツェで過ごす。 五輪でのメダルが期待される立場となっても、時折25歳の若者らしさをのぞかせる。町の中心部はヨーロッパの風情があふれるものの、若者向けのショッピングモールや、緑のロゴが有名なコーヒーチェーンなどもなく、北口が行くのはいつも同じカフェ。 「ずっと同じ空間で同じ生活だから、遠征でどこかに行っている時の方が気が紛れます。買い物とか、もうちょっと楽しめるところがあったらいいのになと思います。買い物はいつも、遠征から帰る時の免税店でしています」