仁科亜季子「38歳から4度のがん〈幼い我が子たちを残して逝けない!〉と。〈2時間前は過去〉だから起きたことを悔やまない」
がんという大きな敵と幾度も対峙し、打ち克ってきた仁科亜季子さん。人生を悲観することなく、「私は幸せながん患者だった」と語る彼女のたくましさの秘密とは(構成=内山靖子 撮影=須藤敬一) 仁科さんの幸せのための『5つの気』とは… * * * * * * * ◆幼い子どもたちを置いて逝けない これまでの人生で、4回がんになりました。初めてがんが見つかったのは、子育て真っ最中だった38歳のとき。子宮頸がんと診断されて、子宮、卵巣、卵管を全摘し、再発を防ぐためにリンパ節の疑わしいところも取り除きました。 その後、46歳のときにジスト(消化管間質腫瘍)という稀少がんが胃にできて、胃の3分の1と脾臓を摘出。さらに55歳のときに、小腸と盲腸にがんが見つかり、61歳のときには大腸がんと診断されて、腸を20cmほど切りました。 振り返ってみると、初めてがんになって以来、7~8年に1度はがんになっている計算ですが、一番動揺したのはやはり最初の子宮頸がんのときでした。ショックを受けたというより、「なぜ、私なの?」という思いがこみ上げてきて。 当時、がんは命にかかわる怖い病気と思われていましたし、私の両親もきょうだいも、がんになった人は誰もいないのに、「どうして自分だけ?」って。 とはいえ、落ち込んだのはほんの一瞬です。「なってしまったものは、しょうがない」と、すぐに気持ちを切り替えました。もともと、楽天的な性格ということもありますし、何より当時は、息子の克基が8歳、娘の仁美が6歳と幼かったので、「この子たちを残して逝けない!」と、生き延びるためにどんな治療も受け入れる覚悟が決まったのだと思います。 子どもたちが待っている家に一刻も早く帰りたい一心でつらい治療に立ち向かい、当初は「入院6ヵ月の予定」だったのが、それより1ヵ月近くも早く退院することができました。
ありがたいことに、その都度いいドクターに巡り合えたこともあり、その後3回かかったがんの治療や手術も無事に終え、今は普通の生活を送っています。ただ、術後に生じたさまざまな後遺症とは、この先も一生つきあっていかねばならないでしょう。 最初の手術ではリンパ節の一部を除去したために、30年以上たった今でも左足がむくみ、毎晩のマッサージが欠かせません。 また、やっかいなのは排尿障害です。子宮や卵巣という膀胱に近い箇所を手術したことで、膀胱の神経が影響を受けて、術後は尿意を感じることがまったくできなくなってしまいました。脳に「膀胱がいっぱい」という指令が来ないので、放っておくと突然尿があふれてしまうのです。 ロケ先やドラマの現場でそんなことになったら一大事ですから、1時間半を目安に必ず化粧室に行くようにしています。 もうひとつ、2回目の手術のときに胃を3分の1切ったので、食道を無理やり引っ張って短くなった胃とつなげたんです。そのために、食べ物を押し下げる働きがうまくいかず、ものがスムーズに飲み込めない。 お蕎麦などをツルツルッとかき込んでしまうと、たちまち喉に詰まって大騒ぎ。いったん詰まってしまったら、叩いても水を飲んでもダメで、吐き出すしかありません。 こうやってお話ししてみると、はたからは、大変な生活に思えるかもしれません。でも、だからと言ってメソメソしたり、クヨクヨすることはまったくありません。落ち込んでも後遺症が消えるわけじゃないし、自力ではどうにもならないことを悩んでいても、人生がもったいないじゃないですか。 私の場合、病気に限らず、仕事やプライベートで何かが起きてしまったときも、「2時間前は過去」と考えるようにしています。 たとえば、ドラマの撮影後に「なんであんな芝居をしちゃったんだろう」と考え込んでしまうときもありますよ。でも、悩んだり、落ち込んだりするのは2時間だけ。2時間たったら、「まあ、いっか。やってしまったことはしょうがない」と事実を受け入れて、「じゃあ、次のときはこうしよう」と気持ちを切り替える。 だって、タイムマシンでもあれば別ですけど(笑)、いくら頑張っても過去には戻れないでしょう。だったら「反省はしても、後悔はしない」。起きてしまったことを悔やむより、その経験を反省し、この先の人生に生かしたほうが、よっぽど毎日が楽しく過ごせるのではないかと思います。
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